ラーマ3世の治世下の1826年当時タイの朝貢国であったラオスのアヌウォンが反旗を翻した際に書かれた記録ワット・レーム Шаблон:Lang あるいはワット・サイトーン Шаблон:Lang と言う名前で登場する。時代は下ってラーマ4世(モンクット王)の時代に勅命でワット・ベンチャマボーピットという現在の名前に近い名前が下賜された。1899年、ラーマ5世の命により現在の本堂が建立された。
デザインは異母弟のナリッサラーヌワッティウォン王子によるものとされるが、イタリア人建築家のエルキュール・マンフレッディが担当した他、マリオ・タマーニョら、お雇いイタリア人らの技師による西洋技術が大いに利用されており、タイの絶対王政下における代表的建築の一つとされる。
大理石寺院の別名のとおり、屋根瓦以外のほとんどの建材にイタリア、カラーラ産の大理石を使用している。屋根には鮮やかなオレンジ色の瓦が使われ、窓にはステンドグラスがはめ込まれている。本尊仏は、ピッサヌローク県のワット・プラシー・ラタナマハタートのチナラート仏を模したものである。