バース(Bath)は、イングランド西部、サマセットにある単一自治体(unitary authority)のバース・アンド・ノース・イースト・サマセット ( Bath and North East Somerset ) 内の都市である。1974年にエイボン州が創設された時、バースはエイボン州に属する都市であった。1996年にエイボン州が廃止され、現在の形態である、バース・アンド・ノースイースト・サマセット単一自治体に属することとなった。
三つの源泉から供給される温泉で著名であり、イングランド有数の観光地である。最近までは温泉施設跡を見ることしか出来なかったが、市内中心部に鉱泉を利用した温泉総合スパ施設サーメ・バース・スパが作られて、入浴する事も出来るようになった。
この地方最大の都市である港町ブリストルから24km内陸に位置する。中心駅はバース・スパ駅で、これはブリストル(テンプル・ミーズ駅)とロンドンを結ぶ路線の主要駅のひとつである。パディントン駅からの列車はファースト・グレート・ウェスタンによって運行され、所要時間は約1時間30分。同社の列車によってカーディフ、ソールズベリー、ポーツマスなどとも結ばれている。サウスウェスト・トレインズの列車もウォータールー駅からソルズベリー経由で1日2、3本運転されている(所要2時間30分)。
バースについての最古の記録はローマ支配時代の温泉に関する記述である。しかし言語学上の類推から、それ以前から温泉が利用されていたことが推測される。主な温泉源は、ケルト人により信仰の対象になっていたとも考えられている。
2世紀頃、ローマの支配下で温泉の街として発展した。バースの温泉はさまざまな病気に効用があると考えられた。ローマ支配末期には、バースを取り囲むように城壁が建築された。
ローマ撤退後は一時廃れ、ローマ様式の浴場も破壊されたが、温泉の利用は続いたようである。
675年、修道院が建設され、781年、マーシアのオファ王がそれを支配下に置き、聖ペテロを守護聖者とする教会を設立した。その後、アルフレッド大王が町を造り直した。
エリザベス1世の時代に温泉地として復活、とくに18世紀のジョージ王朝(1714-1830: 英国王ジョージ1世 - ジョージ4世)と呼ばれる時代になってロンドンの貴族や富裕な階層の保養地として大規模に再開発され、近隣の土地から産出した石灰岩による多くの美しい建物群が建造された。1942年4月、ドイツ空軍の爆撃によりいくつもの由緒ある建物が破壊されたが、その後すべて再建されている。
なお、ローマ時代は"Aquae Sulis"と呼ばれていたが、アングロ・サクソン人はこの町を温泉に因んで"Baðum"等と呼んだ。これが現在の町の名前の由来である。"Bath"という町の名前を英語の"bath"という語の語源とする俗説があるが、実際は温泉があるから付いた地名であり、順序が逆である。
18世紀のジョージ王朝様式の建造物が数多く残っている。ユネスコの世界遺産にも登録されている。
世界遺産に関しては登録物件名バース市街も参照
主要産業は観光である。バース市はロンドンに次いで訪問者の多い観光地である。近年、観光産業に加えてソフトウェア産業、サービス業、出版が伸びている。なかでもフューチャー・パブリッシング社は、バース市での大きい雇用主の企業の1つである。
バースを本拠地とするサッカークラブが存在し、バース・シティFCはカンファレンス・サウス(6部相当)に、チーム・バースFCはサウザンフットボールリーグ・プレミアディヴィジョン(7部相当)にそれぞれ所属している。