シューシュタル(شوشتر)は、イラン・フーゼスターン州にある古代以来の要塞都市である。州都アフヴァーズより約92キロメートルはなれたところに位置しており、2005年現在の人口は約9万人である。
シューシュタルは、アケメネス朝時代にはŠurkutirと呼ばれていた。この名前は、アケメネス朝の首都であったスーサにも関連しており、スーサよりも立派な都市を意味する。
サーサーン朝時代になると、シューシュタルはカルン川(en)に浮かぶ中州となり、サーサーン朝における夏の首都に選ばれた。カルン川は、シューシュタルを囲む堀の役割を果たし、東・西・南の三方にシューシュタルの町へ渡ることが可能な橋がかけられた。シューシュタルのそばを流れる幾筋の河川がシューシュタル周辺の農業の発展に貢献した。そこでは、サトウキビや主要農産物が生産された。
サーサーン朝のシャーであるシャープール1世は、ローマ帝国皇帝ウァレリアヌスを打ち破った際に、ローマ人捕虜を用いて、カエサルの橋と呼ばれる550メートルの長さに及ぶ巨大な橋梁・ダムを建設させている。
シューシュタルの周辺に張り巡らされた水利網をGhanatと呼び、河川とため池や建物とを結び、シューシュタルの町に水を供給した。戦時には、シューシュタルの城門は閉じられた。これらのGhanat群は、今日でも、シューシュタルの地下室でも見受けられることが可能である。
19世紀になると、シューシュタルの水利施設は存亡の危機に立たされた。結果として、19世紀以降、シューシュタルは衰退の一途をたどり、1973年にモハンマド・レザー・パフラヴィーがシューシュタルの再建に動くまで、衰退が続くこととなった。
1973年、パフラヴィー朝は、19世紀以降、水利施設が荒廃していたシューシュタルの再建に乗り出した。フーゼスターン州における農業振興を目的としていた。カルン農業産業会社(Karun Agro-Industries Corporation)によって、シューシュタル旧市街の対岸にシューシュタル・ニュータウンと呼ばれる町が建設された。シューシュタル・ニュータウンの建設によって、シューシュタルにおける砂糖産業に従事している労働者の住居を提供する一方で、シューシュタル旧市街の再生に関心を持たせると同時にこの地方の経済発展を目指していた。
2009年、UNESCOの世界遺産にシューシュタルの水利施設は、「シューシュタルの歴史的水利施設」として、登録された。
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。