ミシガン大学(University of Michigan)は、アメリカ合衆国ミシガン州の州立総合大学。アナーバー市内にセントラル、ノース、サウス3つのキャンパスとメディカル・キャンパスを擁するほか、ディアボーンとフリントにもそれぞれ分校がある。アナーバー校はミシガン大学の中核たる旗艦校であり、その評価は公立の大学として最高の部類に属し、俗にパブリック・アイビーと称される大学の一つとなっている。また、同校(アナーバー校)は、1900年に結成されたアメリカ大学協会の創立メンバーの一つ。なお、同州イーストランシング市にあるミシガン州立大学(Michigan State University)とは別組織である。
ミシガン大学は1817年にミシガン準州(現ミシガン州)デトロイトに創立された、全米でも最も歴史のある州公立大学である。1837年、同校のキャンパスは現在のアナーバーに移設された。同校最初の授業は1841年に1年生6名と2年生1名、2名の教授によって行われた。1845年には同校最初の卒業式が行われ、11名が卒業した。
同校の歴史: (Wikipedia英語版)
ミシガン大学アナーバー校は、カリフォルニア大学バークレー校などと並び、州立大学の名門として全米および世界的に高い評価を受けている研究機関型大学の一つ。近年日本でも注目されている、英紙タイムズ(The Times)の世界大学ランキング(2008年・2009年)において、米国の公立大学としては唯一、上位20位内にランクインしている。また、誌は長年に亘り、同校の専門大学院、研究課程、および学部課程を高く評価してきた。特に社会科学分野における実績は目覚ましく、政治学、心理学、社会学等の先駆的研究は、米国内のみならず世界の学会に影響を及ぼしている。さらに、米国の医療、コンピュータ科学・工学の分野における発展にも多大な貢献をしている。1955年には、ポリオワクチンの開発に成功した。当大学サーベイリサーチセンターによって毎月発表されるミシガン大学消費者信頼感指数は、米国の主要な経済指標のひとつになっている。US NEWS誌のランキングでは、同校の200にわたるプログラムのうち、70%が全米ベスト10、90%がベスト20に入る高い評価を受けている。(詳細はランキング項を参照)
名門大学であるため、同校の入学難易度は高く、一年次入学者の合格率は42.1%となっている。州立大学中ではUCLA、UCバークレー、バージニア大学に次ぐ合格率の低さで、Princeton Review誌の合格難易度指数では96(最高99)と州立大学中第4位の難関とされている。(1位:UCLA/ 2位:UCバークレー、バージニア大学)同校の一年次入学生の平均GPAは3.72、高校在学時の学年順位で上位10%内に位置していた学生の数が全体の92%を占める。25%がSAT において1,400点以上を有しており、これはアイビーリーグ8校それぞれの上位25%の新入生の平均である1,430点に匹敵する。
教育の質が高く評価されている同校ではあるが、州立大学としての規模の大きさから来る問題点も抱えている。例えば、誌は、同校はTA(大学院生)による授業の割合が全米で7番目に高い大学としている。また、高額な授業料も有名で、州外出身者の年間学費は、授業料のみで37,000USドルにも達し、これは私立の名門大学にも匹敵する。(州内出身者でも13,000USドル前後である)。
ミシガン大学アナーバー校は、主に、ノース・キャンパス、セントラル・キャンパス、サウス・キャンパスの3つのキャンパスに分かれており、総敷地面積は3km²ほどである。3つのキャンパス間は、ブルー・バスと呼ばれる大学運営の無料バスにより行き来できる。
ミシガン大学のスポーツチームは「ウォルバリンズ」(Wolverines)と呼ばれている。Wolverineとは「クズリ」の意味で、ミシガン州を別名「クズリの州」(Wolverine State)と呼ぶことからこの名がついている。
同校はフットボールの名門としても知られる。1902年に第1回ローズボウルでスタンフォード大学に49-0で勝利した。同校はこれまで通算849勝(2005年12月29日現在)を挙げ、勝利数・勝率の両方において全米1位である。同校の実力は安定しており、1989年から2004年までの15年間、毎年最終ランキングにおいて25位以内を確保してきた(しかし2005年はでネブラスカ大学コーンハスカーズに32-28で敗れ、最終ランキングにおいてはトップ25圏外に転落した)。最近の優勝は1997年で、守備選手としては史上初のハイズマン賞(最優秀選手賞)を受賞した(現グリーンベイ・パッカーズ)を擁し、ローズボウルでワシントン州立大学クーガーズを21-16で破った。
同校は全米の大学で最大のスタジアム「ミシガン・スタジアム」を有し、1試合当たりの観客動員数は110,000人を超える。フットボール激戦区のひとつであるビッグ・テン・カンファレンスに所属し、ミシガン州立大学スパルタンズやノートルダム大学ファイティング・アイリッシュ、そしてシーズン最終戦のオハイオ州立大学バックアイズと熾烈なライバル関係を築いている。同カンファレンスには、その他にも名将監督率いるペンシルベニア州立大学ニタニー・ライオンズや、ランに定評のあるウィスコンシン大学バッジャーズなど実力校が揃い、勝ち抜くのは困難である。
同校のフットボールチーム応援歌は"Hail to the Victors"という。ゲーム開始時の入場行進をはじめ、チームが得点を挙げたとき、勝利したときにこの曲がトランペットの音高らかに流れる。同校の応援は、"Go Blue!"と叫ぶのが基本形である(青は同校のスクールカラーの一つで、ユニフォームも青が基調となっていることに由来する)。また、同校は特定のマスコットを持たない。
2007年9月1日、当時全米フットボールランキング5位にランクされていたミシガン大学ウルバリンズが、シーズン初戦でディビジョンAAのアパラチアン州立大学マウンテイナーズに32-34で敗れるという事態が起こった。アパラチアン州立大は、本来ならばミシガン大の属するディビジョン1-Aより一つ下の区割りに属すため、試合前は誰もがミシガン大の勝利を疑わなかった。しかしながら、ゲームが始まるや否や、アパラチアン州立大は強豪ウルバリンズのプレッシャーをも感じさせない気迫のプレーを見せ、試合中盤には一時7-14とリード許す場面もあった。そして互いにタッチダウンを奪い奪われながら進み、32-31で迎えた最終クォーター残り27秒で、アパラチアン州立大にフィールドゴールを決められ、史上稀に見る番狂わせを喫した。
そのほか、アイスホッケー、女子ソフトボールなどで全米チャンピオンの実績があるなど、強豪として知られている。
太陽光をエネルギーとする研究も早くから取り組んでおり、1990年から1993年にかけてソーラーカーレースで活躍した。 激戦を勝ち抜きソーラーエネルギーーの可能性を実証した彼らの活躍は今でも語り継がれている。