ルーヴル美術館(ルーヴルびじゅつかん、Musée du Louvre)は、パリにあるフランスの国立博物館である。
(1503-06年、レオナルド・ダ・ヴィンチ]] )]] メトロポリタン美術館(アメリカ合衆国ニューヨーク)などと並んで世界最大級の美術館の1つであるとともに、アシュモリアン美術館(1683年)や、ドレスデン美術館(1744年)、バチカン美術館(1784年)と並んで、ヨーロッパで最も古い美術館の1つに数えられる。世界遺産パリのセーヌ河岸に包括登録されている。創立者はナポレオンの外交官であったヴィヴァン・ドゥノン。
世界的に有名な絵画・彫刻を多数所蔵している。
ルーヴル美術館は、セーヌ川の右岸に位置し、ルーヴル宮殿の大部分を占めている。 建物は、1190年にフィリップ2世(フィリップ・オーギュスト)が パリ防衛のための城砦を築いたのに始まる。 ルネサンス様式の宮殿に改築された16世紀のフランソワ1世の時代から ナポレオン3世の時代まで実に3世紀以上を費やして完成した壮大な建物で、 16世紀以降、近代までのフランス建築ならびに装飾の粋を集めるものである。 フランソワ1世以後の歴代王室の収集品を基として、 フランス革命後の1793年8月10日にフランス共和国により公開された。
フィリップ2世(在位1180-1223)が築いた城砦の遺構は現在も一部が保存されている。 この城砦を初めて王宮へと改築したのはシャルル5世(在位1364-1380)で、 建築家のレーモン・デュ・タンプルに命じ、1364年から改築に着手した。 その後もこの建物は歴代のフランス王によって拡大と改築が続けられていった。
その中でルーヴルをルネサンス様式の壮麗な宮殿に改築しようとしたのが、レオナルド・ダ・ヴィンチの パトロンとしても知られるフランソワ1世(在位1515-1547)である。 改築は建築家ピエール・レスコの指揮で1546年に開始されたが、翌年フランソワ1世が没したため、 仕事は息子のアンリ2世(在位1547-1559)に引き継がれた。 アンリ2世の死後、その妻カトリーヌ・ド・メディシスは、 セーヌ河に沿ってルーヴルと西のチュイルリー宮を直接結ぶ、 長大な「水の回廊」(今日「グランド・ギャルリ」として知られる)を建設させた。 「水の回廊」の建設や建物東端に位置するクール・カレ(方形宮)の拡張を含む「グラン・デッサン」(大計画)は アンリ4世(在位1589-1610)の時代にひとまず完成したが、造営はその後も続いた。
太陽王ルイ14世もさらなる拡張工事を進めたが、 後に彼がヴェルサイユ宮殿の造営に尽力するようになってからルーヴルの工事は中断し、 建物は王宮としての役割を果たさなくなった。
その後、ルーヴルには国の役所や芸術家の住居に当てられるなど長らく他の用途に使われていたが、 1789年のフランス革命後、ルーヴルを美術館とすることが決まり、 1793年「諸芸術の中央美術館」として正式に開館した。 ただし、一般の人々への公開は1801年からとされている。
1985年から1989年にかけて、ミッテラン政権下の 「グラン・ルーヴル・プロジェ」により大改築が行われた。 主に地下部分に増築を行い、大蔵省等ルーヴル宮殿内にあった、 政府機関を移転するとともに、I・M・ペイ設計による、 ガラスのピラミッド(内部に逆ピラミッド)を中庭におき、 その直下に美術館部と新たに設けられた店舗・食堂部門を結ぶアネックスをもつ 近代的な美術館の面も持ち合わせるようになった。
2010年、フランス北部のランス(Lens)に分館が開館予定である。 設計は日本人による設計事務所SANAA(妹島和世・西沢立衛)と アメリカのイムレー・カルバート(Imrey-Culbert)社が手掛ける。 また、アラブ首長国連邦のアブダビにも分館の建設計画があり、2012年開館予定である。
収蔵品は、古代エジプト美術、ヘレニズム彫刻やギリシア盛期のローマン・コピーを含む古代ローマ彫刻、古代オリエント美術、中世・ルネサンス・バロック・ロココなど各時代のヨーロッパ諸国の絵画などの充実した収蔵品で知られる。なお、近代(19世紀後半-20世紀前半)の作品は国立オルセー美術館、現代の作品はポンピドゥー・センターに収蔵されている。
メトロ1,7号線パレ・ロワイヤル-ミュゼ・デュ・ルーヴル駅(Palais Royal-Musée du Louvre)下車