サルヴァドール(Salvador)はブラジル北東部、大西洋岸にある港湾都市。同国バイーア州の州都である。なお一般的には、サルヴァドールよりもバイーアと呼ばれる方が多い。
サルヴァドールの正式名称はサン・サルヴァドール・ダ・バイーア・ジ(デ)・トードス・オス・サントスで、「諸聖人の湾の、聖なる救世主」という意味である。諸聖人の日(万聖節)に発見されたことから、そう名付けられた。サルヴァドール自体はポルトガル語で救世主(=キリスト)を意味する。
なお、「湾」を意味するバイーアは、本来ポルトガル語のスペルはBaía と表記されるが、昔から地名としては h を加えてBahiaと表記することが一般的とされてきた(どちらのスペルでも発音は変わらないが、表記が異なる理由は不明といわれる)。
また、サルヴァドールという同名のブラジルの都市と区別するために、サルヴァドール・ダ・バイーア(バイーア州のサルヴァドール)と地図などに書かれることもある。また現地を中心にブラジルではサルヴァドールよりも、バイーアという名称が古くより一般的に呼称されており定着している。1719年に書かれたロビンソン・クルーソーにも、この名前で登場する。このためバイーア出身の女性はBaiana(バイアーナ)という。ただし、バイーアの若い男性はiôiô, 若い女性はiaia(イオイオ・イアイア、より発音に近い表記はイョィヨー、イャィヤー)と呼ばれることもある。
サルヴァドールは大西洋に面し、「諸聖人の湾」を取り囲む半島に位置している。主要な輸出港であるとともに、この湾周辺のRecôncavo Baiano大都市圏の中心でもある。2002年の人口は約254万人、ベロオリゾンチを抜いて現在ブラジルで三番目に大きな都市となっている。
「諸聖人の湾」が初めてヨーロッパ人によって発見されたのは1502年だが、サルヴァドールが建設されるのは1549年、初代ブラジル総督トメ・ヂ・ソウサ率いるポルトガル人入植者の到着を待たねばならなかった。その後急速にブラジルの主要貿易港として発展し、砂糖産業と奴隷貿易の中心地であったポルトガル領ブラジルの最初の首都となった。1552年にはブラジルで初めてカトリックの司教座となり、以後ブラジルのカトリック教会の中心地のひとつでありつづけている。1583年に人口1,600人に達した後も急速な成長を続け、北米でアメリカ独立戦争が起こった1776年の段階では、新世界で最大の都市のひとつになっていた。
当時サルヴァドールはポルトガル副王国グラン・パラ、およびバイーア・デ・トードス・オス・サントス県の首都であった。1624年5月オランダがサルヴァドールを攻略、翌1625年4月にポルトガルが奪還するまで、他の北東部の港と同様に占領を続けた。
1763年、その当時新たな経済の中心地となったリオデジャネイロへと植民地ブラジルの首都が移転したが、サルヴァドールはブラジル独立運動の拠点となり、1812年にはポルトガルによる攻撃を受けている。そして1823年7月2日には独立を達成した。その後ブラジルの工業化の流れに取り残されたため、150年にわたり斜陽の一途を辿っていた。この間1948年に人口は34万人、1991年には人口は208万人を記録している。
1990年代に入り、市政府によって旧市街の歴史地区ペロウリーニョの浄化・復元プロジェクトが行われ、ブラジルの文化と観光の中心地となっている。このため一時は治安が良くないとされたが、交番も各所に設置されるようになり、カルナヴァルの時期などには多くの警官が街角に配備されることなどから、治安に対する不安も減少傾向にあるといわれる。
市街はcidade alta(上の町)とcidade baixa(下の町)に分かれている。大聖堂と政府関係の建物が最も高い地点にある。町にはブラジル初の大聖堂、最古の医学校など植民風の建築物が多く残されているとともに、アフリカの影響を受けた文化の存在も有名になってきている。住民の多くはアフリカから渡ってきた人たちの子孫である。ヨルバ・カンドンブレや格闘技カポエイラの中心地であり、350もある教会により、「黒いローマ」と呼ばれるほどでもある。アフリカ文化の影響は、料理や音楽、生活文化を通して地域の外にまで広がっている。
音楽的にはサンバは、サルヴァドールが発祥の地ともいわれる。またブラジルを代表する偉大な作曲家ドリヴァル・カイーミやガル・コスタ、グラミー賞を受賞したジルベルト・ジルといった、
MPB(現代ブラジルポピュラー音楽)のミュージシャンや歌手などスターなど、多くの著名なブラジル人の出身地としても知られる。ジルベルト・ジルはのちに市の評議会委員を経て、ブラジルの文化大臣も務めた。
ここ最近(およそ20年間)には、さらにバイーア風のポピュラーな音楽であるアシェ(Axé)が生まれた。ダニエラ・メルクリやイヴェッチ・サンガロはアシェの代表的な歌手である。またカルナヴァルの時期には、地域密着型の音楽集団であるブロコ・アフロ(Bloco Aflo)も数多く結成された。中でもオロドゥンは世界的にも知られる。ブロコ・アフロはオロドゥンに限らず社会的な活動を行う文化団体としての顔も持っているのが特徴である。これらの歌手やミュージシャン、またバンドのCDは日本でも発売され、随時来日公演も行われることから、次第に知られるようになっている。
サルヴァドールの識字率は81%、平均所得はおよそ月447ドル(1990年代後半)である。貧困地域では公衆衛生が問題となっている。約三分の一の住民の家は下水道も浄化槽も整備されておらず、現在バイーア州政府ではBahia Azul, Viver Melhorといったプロジェクトに取り組んでいる。美しいビーチは歴史地区ペロウリーニョとならんで観光地だが、この影響で湾内の水質が悪いため、観光客にはイタポアンなど半島の大西洋側の海岸が勧められている。
サルヴァドール大都市圏のカマサリには、フォードの自動車工場があり、エコスポルトやフィエスタといった車種の組み立てをしている。
サルヴァドールでは現在地下鉄を建設中である。二つの路線からなり、バスと鉄道とともにネットワークを形成する予定である。第一期区間は2006年から、遅くとも2007年初頭の開通が予定されている。
サルヴァドールには国際空港があり、国内外の多くの都市と結ばれている。IATA空港コードはSSA、ブラジルで六番目に運航量の多い空港である。
国際線就航都市
以下季節運航
Шаблон:世界遺産概要表 1549年から1763年までの間、サルヴァドールは、ブラジルの首都として機能していた。1985年には、UNESCOの世界遺産として登録された。250年間の首都としての繁栄が、現在にまで残る建築物に現れている。