ルメリ・ヒサル(またはルメリ・ヒサール、英:Шаблон:Lang、トルコ語:Шаблон:Lang)は、オスマン帝国のメフメト2世がコンスタンティノープル郊外(現在のイスタンブール)に造営した城塞。「ローマの城」という意味をもつ。
メフメト2世が東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルを攻略中の1452年に、わずか4か月ほどの短期間で造営し、攻略の拠点となった。当時のコンスタンティノープルは、マルマラ海と金角湾にはさまれた半島の一帯に中心部があり(現在、旧市街と呼ばれている)、海と古代ローマ帝国来の堅固な城壁に守られた難攻不落の城塞都市となっていた。ルメリ・ヒサールは、コンスタンティノープルから金角湾をはさんで北側約10キロメートルにあり、アジアとヨーロッパの境界であるボスポラス海峡の最狭部(幅660メートルほど)のヨーロッパ・サイドに位置する。対岸のアジア・サイドにはアナドル・ヒサールがある。金角湾の入り口には東ローマ帝国によって鉄製の太い鎖が張られ、オスマン艦隊の進入を阻止していたが、メフメト2世は艦隊を陸上から丘越えで金角湾に移動させるという奇策に出てコンスタンティノープルを陥落させた。
ルメリ・ヒサールのすぐ北にはアジアとヨーロッパを結ぶ吊橋であるファーティフ・スルタン・メフメト橋 (Fatih Sultan Mehmet Bridge) がある。