エルマノス・ロドリゲス・サーキット (Autódromo Hermanos Rodríguez, アウトドローモ・エルマノス・ロドリゲス) は1963年から1970年、1986年から1992年まで、F1メキシコGPが開催された唯一のサーキット。サーキットは標高約2300mあり、それは富士山の5合目にあたる。
標高の影響で空気が薄くエンジンパワー、ダウンフォース量ともにダウンするため、通常のコースとは異なる特殊なセッティングが求められる。
サーキット名称の由来はメキシコの誇ったレーサーであり、共にレース中のアクシデントで若くして命を落としたペドロ・ロドリゲスとリカルド・ロドリゲスのロドリゲス兄弟から名付けられている。
コースは路面舗装が荒く非常にバンピーであることで知られている。 ホームストレートは1km以上と長いものの、前述のエンジンパワー、ダウンフォース量の問題からストレートスピードは300km/h程度に抑えられる。
1965年にはホンダがリッチー・ギンサーのドライブによって、この地でF1初優勝を遂げている。またこれはグッドイヤータイヤのF1における初勝利でもあった。
最終コーナーは「ペラルタ」と呼ばれるバンク角のついた180コーナー。ここでは1988年にフィリップ・アリオー、1991年にアイルトン・セナがマシンを横転させるほどの大クラッシュを演じた。