ラス・メドゥラス(Las Médulas)はレオン県のポンフェラーダ近郊に広がる古代ローマ帝国の金鉱山跡である。ラス・メドゥラスは、古代の鉱業によって生まれた産業遺産であるとともに優れた文化的景観を形成しており、ユネスコの世界遺産にも登録されている。この金鉱の枯渇が帝国滅亡の遠因になった。
ラス・メドゥラスの目を見張るような景観は、古代ローマ時代の鉱山技術であるルイナ・モンティウム(Ruina Montium)の結果生まれたものである。この技術は西暦77年に大プリニウスも書き留めているもので、山の近隣の川から少なくとも7本の水路を引いて、そこから大量の水を流すことで、山の表面を削りとってゆく方法である。その水路は、削り取った土砂から砂金を洗い出す役割も果たしており、カリフォルニア式水力採鉱(hydraulic mining)の先駆けと言うことが出来る。ヒスパニア・テラコネンシス(Hispania Terraconensis)一帯に古代ローマ帝国が侵入したのは、アウグストゥス帝の治世下にあたる紀元前25年のことであった。そして一帯は征服され、ほどなくして金の採掘が始まった。
シエラ・デ・ラ・カブレラ(Sierra de La Cabrera, ラ・カブレラ山地)からラス・メドゥラスに必要量の水をもたらすために、総延長100 km 以上にもなる少なくとも7本の平行な水路が建造された。そのうち、切り立った地形の部分は良好に現存しているものもあり、いくつかの岩刻碑文も残っている。
大プリニウスは『博物誌』の中で金の採掘作業の話に触れている。叙述は十分にラス・メドゥラスに適用できる。プリニウスは西暦74年にこの地方のだったので、彼は採鉱作業を見たのであろうし、彼の文章は目撃談のように読むことが出来る。彼はまた、重い金の粒子が集められるようにと、浅瀬でより細い水流を使って鉱石を洗い流す方法についても叙述している。それに続くのは地下での採鉱の詳細な話である。ラス・メドゥラス周辺では、沖積層の漂砂鉱床が枯渇した後、主脈が探査・発見された。そうした深い鉱脈が周辺の山々で発見されたことから、それらの鉱脈の上に水路や水槽類が建設され、採鉱が始まったのである。
プリニウスは毎年2万ポンド(Roman pounds)の金を産出していたと記録している。6万人もの無料労働者を駆使して行われた採掘は、250年間で165万kgもの金を産出したのである。
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。