アラン島(Isle of Arran、ゲール語名:Eilean Arainn)はスコットランド、キンタイア半島東側の大きな入り江であるクライド湾(Firth of Clyde)で最大の島(430km²)。行政区分ではノース・エアシャイアに属する。2001年現在、人口は5,058人。
この島は、クライド湾に位置している。島の中心となる村はブロディック(Brodick、古代北欧語で「広い湾」を意味する)で、この村から本島へ主要なフェリー航路がある。ブロディック城は、ハミルトン公爵の居城である。
アランは北部に多くの山がある。最も高い山はゴート・フェル(Goat Fell)で874m。島の南部は、段状の海岸で、高い断崖になっている箇所もある。この島は「スコットランドのミニチュア」と言われることがある。スコットランドを北東から南西に横断するハイランド境界断層によって、この島は「ハイランド」と「ローランド」に分けられる。地質学者には有名な島で、シル (Sill)や岩脈(dike)といった火山性貫入地形を観察するために多くの研究者が訪れる。島の北部は、大部分がバソリス地形になっている。
島には3本の主要な道路が走っている。海岸道路は島を周回し、StirngとRossと呼ばれる道路がそれぞれ別のポイントで内陸部を横断している。
アラン島には3つの小さな付属島嶼がある。
アラン島コーリークレイヴィーの南西にあるEilean na h-Airde Baineは、島というよりは岩礁で、干潮時にはアラン島とつながる。
この島には新石器時代のストーンサークルや立石遺跡が多く残されている。マクリー・ムーア (Machrie Moor) とよばれる立石遺跡やホワイティング・ベイの巨人の墓 (Giant's Grave)がその代表的なものである。聖モリオの洞窟には壁に彫り込みがあり、数少ないピクト語の証拠となっている。
ブート島と同じく、アラン島もかつてはブリソン語部族の土地であった可能性が高い。しかしゲール族が近隣のダルリアダ王国からその版図を広げ、ゲール語の住民に置き換わった。この後、この島は、他の大部分のスコットランドの島と同じく、ノルウェー王の支配下に置かれた。この結果、現在でもアラン島の地名の多くはヴァイキング起源のものである。ノルウェー王ホーコン4世は1263年にラーグスの戦いへ向かう途中にこの島を訪れた。この戦いの後、この島は「Lord of the Isles」の称号を与えられた。
聖コルンバと聖ニニアンがアラン島を訪れたと言われ、そのほかにもフィンガルズ・カールドロンと呼ばれるストーン・サークルなど、古代のアイルランドとの結びつきを示すものは多い。34m近くある深い王の谷は、スコットランド王ロバート1世が身を隠した場所と伝えられている。
アラン島はスコットランド本島と2つのカレドニアン・マクベイン・フェリーの航路で結ばれている。
さらに夏期には、ラムロッシュから隣のホリー島へのフェリーも出る。
また、夏期には外輪蒸気船ウェイヴァリーがブロディックから定期クルーズ運航している。
島の主要産業は観光業だが、農業・林業も重要な産業となっている。他に成功しているビジネスには、以下のものがある。
この島の主な観光スポットは、スコットランド・ナショナル・トラストが所有している堂々たるブロディック城である。その他には、キャタコールの12使徒がある。これは、12軒の白壁の小さなコテージが海岸線に沿って並んでいるものである。海に向いた上の窓の形が家ごとに異なっている。これは、海で漁をする夫に家の妻が窓にろうそくを置くことで合図ができるようにしたものである。夫は誰の合図であるか窓の形で識別できるようになっている。