ロプノール(羅布泊:Lop Nur、ロプ湖)は、中華人民共和国新疆維吾爾自治区(東トルキスタン地域)の南東部にかつて存在した塩湖である。
この湖にはタリム川(塔里木河)が流れ込むが、湖から流れ出る川はなく、その湖水は強い陽射しで蒸発するか地中に消えてしまう。 タリム川の流れが変わることからその位置が変化し、また水深が浅く絶えずその姿を変えることから「彷徨える湖」と呼ばれてきた。
ロプノールはタリム盆地のタクラマカン砂漠の東のはずれに20世紀半ばまで存在していたが、現在は干上がり湖面は存在していない。約200万年以上前に形成されたと考えられている。消滅した時期について、夏訓誠(シア・シュンチョン)らによると1959年には存在が確認されていたが、1972年にはすでに消滅していた。夏は2008年11月にも現地調査と衛星写真による調査を行い、中国新疆ウイグル自治区にある中国科学院の新疆生態地理研究所は消滅した時期を1962年と報告している。この地域の乾燥化が進んだことやタリム川上流にダムが建設されたことなどが消滅の一因と考えられている。
この地は、中国で古来から西域と呼ばれていた地域で、シルクロードの途中に位置し、漢の時代にはロプノール西岸に都市国家楼蘭が栄えた。しかし、3世紀頃からロプノール一帯の乾燥化がはじまったとみられ、4世紀頃に楼蘭は急速に衰退した。ロプノールに流れ込む河の流れが変わったため湖が干上がったという説もあったが、現在では河川の流量によって湖の位置が変化したということが明らかにされている。シルクロードも、タクラマカン砂漠の南側を通る西域南道の往来が困難になり、唐代までには敦煌から北に上がって天山山脈の南側を通る西域北道へとルートの中心が移った。
13世紀のベネチア商人で中国を旅行したマルコ・ポーロは、この湖の近くを通過した。
20世紀初頭、探検家ニコラス・ミハイロヴィッチ・プルエバルスキーとスウェン・ヘディンは、この辺りを訪問している。1900年にヘディンは楼蘭を発見した。
東トルキスタン地域が中華人民共和国の支配地域となった現代では、情勢が一変することとなった。
1964年以来、ロプノール周辺地域は核実験場として使われ、1996年までに核実験が45回に渡り実施された。大気圏内核実験はロプノールの北西約100km、地下核実験はロプノールの北西約220kmの地域で行なわれた(ロプノールの湖床が実験場となったことはない)。
2006年現在はロプノールの湖心を訪れるツアーなども組まれており、湖の中心には多くの旅行者や探検家によって湖心到達を記念する碑が建てられている。