ハンガロリンク(Hungaroring、現地ではフンガロリンクと発音する人が多い。オンガロリンクとも)はハンガリーの首都ブダペスト郊外にある全長4.384Kmの低速サーキット。1986年より東欧の国としては初めてのF1レースである、ハンガリーGPの舞台となっている。また、1990年と1992年には2輪のハンガリーGPも開催された。
当初は全長4km足らずのコースに20以上のコーナーが点在する低速コースで、1986年のF1初開催時には予選トップの車両の平均速度は時速161kmだった。これは同シーズンのF1で、モナコ、デトロイトの各市街地コースに次ぎ3番目に遅い記録だった。1989年に3コーナー周辺のシケインを廃止。2003年にホームストレートを200m以上延長し1コーナーを鋭角化、コース後半部のインフィールドエリアのレイアウトを変更する大改修を行い、2009年にはF1の平均速度が200km/hほどになった。F1でのオーバーテイクは他のサーキット同様非常に難しく、ドライバーの身体的負担も高いとされる。元々丘陵地だった場所を切り開いて建設した事もあり、高低差が非常に大きいのも特徴。低速サーキットのハンガロリンクでは、思わぬ波乱が起こる事も多い。特にコースが改修された2003年以降は波乱が多く起こり、2002年から2008年まで毎年、ハンガリーGPの勝者は変わっている。フェルナンド・アロンソ、ジェンソン・バトン、ヘイキ・コバライネンとここで初優勝を挙げた者も多い。予選重視という事でポールシッター有利と思われがちであるが、これまでのハンガリーGPのポールシッターは24戦11勝である。
追い越しが難しいこのサーキットでは、1980年代~1990年代初頭は激しいバトルが見られることも多かった。1986年にはウィリアムズのネルソン・ピケとロータスのアイルトン・セナ、1988年にはマクラーレンのチームメイト、セナとアラン・プロストが抜き合いを演じた。第3コーナーのシケインが撤去された1989年は、ナイジェル・マンセルが予選12位から追い上げて優勝し、周囲を驚かせた。マンセルは改修された第3コーナーの脱出速度が高く、続くストレートの終わりまでの区間で前車を追い越すことを成功させた。
ロードレースにおいては、WGP初開催の1990年には、マイケル・ドゥーハンが自身のWGP初勝利を500ccクラスで記録した。
サーキット入り口の公園には歴代F1チャンピオンとハンガリーGP開催に大きく関わったバーニー・エクレストンの銅像が並ぶエリアがある。また大型レジャープールも開園した。