マサダ要塞、マサダ(マサダようさい、עברית. מצדה)は、イスラエル東部、死海西岸近くにあるユダヤ属州時代の要塞の遺跡。
「マサダ」とは「要塞」を意味するヘブライ語である。
ユダヤ戦争におけるユダヤ人の集団自決で知られ、2001年に世界文化遺産に登録された。
現在、同地はイスラエル国内でエルサレムに次ぐ人気の観光地となっており、観光用のロープウェーが整備されている。その歴史的経緯から現在でもなお多くのユダヤ人にとって特別な思い入れのある場所であり、ユダヤ人全滅の悲劇を再び繰り返してはならないという決意から、イスラエル国防軍の入隊式がマサダ頂上で行われ、国家への忠誠を誓う。
東経35度21分13秒北緯31度18分55秒に位置する標高約400メートルの岩山にある。
紀元前120年頃に要塞が建設され、後にヘロデ大王が離宮兼要塞として改修し、難攻不落と言われた。
66年にローマとの戦争を始め(ユダヤ戦争)、70年のティトゥス率いるローマ軍によってエルサレムが陥落した後、熱心党員を中心としたユダヤ人967人がエルアザル・ベン・ヤイルに率いられてマサダ要塞に立てこもり、ローマ軍15000人がこれを包囲した。ユダヤ人たちは2年近く抵抗したが、73年についにローマ軍によって攻め落とされた。陥落直前にユダヤ人たちは、投降してローマの奴隷となるよりは死をと、2人の女と5人の子供を残して全員が集団自決したという。これによってユダヤ戦争は完全に終結した。
73年のローマ軍による破壊後は長い間その所在が分からなくなっていたが、1838年にドイツ人研究者によって発見された。