コンゴーニャス空港(コンゴーニャスくうこう、Aeroporto de Congonhas)は、ブラジルのサンパウロ市内にある空港。サンパウロのIATA都市コードはSAOであるが、IATA空港コードは「CGH」を使用している。なおコンゴーニャス国際空港の名でも知られているが当空港は2008年に国際空港ではなくなっており、空港運営者 Infraero は公式サイト内で空港名を「サンパウロ/コンゴーニャス空港」 (Aeroporto de São Paulo/Congonhas) に変更したと述べているが、こちらの空港サイト(ポルトガル語、英語)では「コンゴーニャス空港」と表記されている。日本語では「サンパウロ/コンゴーニャス空港」よりも「コンゴーニャス空港」の方が多用されている。
サンパウロ市内中心部から8キロのカンポ・ベロ地区の住宅地(現在)の真ん中に、1919年に飛行機の離着陸場として整備され、1936年に空港として本格的に運用されるようになった。
その後、第二次世界大戦後の航空需要の急増やダグラスDC-4やロッキード コンステレーションなどの大型機材の乗り入れを受けて、滑走路の延長や国内、国際線ターミナルビルの増築、改築などが行われた。またVASPブラジル航空などの拠点を置く航空会社の本社や整備用ハンガー、駐車場なども建設された。
その後1960年代に入り、シュド・カラベルやボーイング727などのジェット機が就航し、利用客の急増と滑走路のさらなる延長の必要が出たことを受けて、現在の長さに滑走路の延長がなされた上に、国内線ターミナルビルの再度の増改築が行われたが、ボーディングブリッジの整備は行われなかった。
市内中心部からのアクセスが良好なこともあり、開港当時より現在に至るまでサンパウロの主要空港の1つとして多くの国内線が運航されている他、政府や空軍機、プライベートジェットにも使用されている。
なお1980年代にグアルーリョス国際空港がオープンして以降も、内外の複数の航空会社により、ブエノスアイレスやアスンシオン、ラパスなどへの近距離国際線が運航されていたが、現在は運航されていない。
ブラジル第二の都市であるリオ・デ・ジャネイロのサントス・デュモン空港との間に「ポンテ・アエーレア(空の架け橋)」と呼ばれる、日中では10分に1本程度の世界有数の高頻度を誇るシャトル便が、複数の航空会社によって運航されている他、ブラジリアやベロオリゾンテなどの国内の主要都市との間にもシャトル便が運航されている。
この他にもブラジル各地への国内路線が多数運航されている事から、2,000メートルに満たない滑走路が2本にわずか25の中型ジェット機用スポットがあるだけと小規模ながら、2005年には年間17,147,628人の乗降者数を数えるなど、サンパウロの基幹空港の1つ、かつブラジル国内のみならず南アメリカでも有数の規模の乗降客を誇る空港となっている。また、その混雑ぶりから「南半球で最も混雑した空港」との異名をとる。
2004年8月にはターミナルの大幅改修工事が完了し、ターミナルの増床が行われボーディングブリッジが本格的に整備された他、慢性的に不足していた駐車場の増床もなされ3300台が駐車できるようになった。なお、ターミナル以外の設備の老朽化が進んでいることや、市内電車とのアクセスの整備の計画があることなどから、改修工事は現在も段階的に行われている。
相次ぐ空港隣接地における事故により、中型ジェット機の発着禁止措置の早期施行のみならず、立地条件上これ以上の拡張工事は期待できない空港自体の廃止を唱える意見も再び噴出してきていたが、2014年にサンパウロでも開催されるFIFAワールドカップや、2016年にリオ・デ・ジャネイロで開催される夏季オリンピックの開催に伴い、サンパウロ市内外の空港利用客が増加することが予想されるため、近年中の空港廃止の予定はなく、上記のように様々な施設の改修が段階的に行われている。
もともとレシプロ機の発着を前提として1930年代に建設され、その後ジェット機の普及を受けて1960年代と1970年代に相次いで拡張されたこの空港の2本の滑走路は1,940mと1,435mで、これは今日の大型ジェット旅客機(ボーイング777やエアバスA340など)が離着陸に必要とされている2,500mはおろか、中型ジェット旅客機 (ボーイング767やエアバスA300など)が離着陸に必要とされている2,000mにも満たない。
しかも、航空写真の様に30-40階以上の高層アパートを含む住宅地の中に取り残された陸の孤島のようなこの空港は、滑走路端を複数の幹線道路が走っていることもあり、退避ゾーンになるようなスペースの余裕がほとんどない上に、滑走路の片側が崖になっていることもありこれ以上退避ゾーンを作る余裕もない。このため過去にはオーバーラン事故や周辺地への墜落事故が数回発生している。
上記のように、立地条件上これ以上の拡張工事は期待できないことから、1990年代に離着陸滑走距離が2000メートルぎりぎりにもかかわらず乗り入れされていたエアバスA300などのワイドボディ機の発着が禁止され、その後も数度に渡りボーイング737やエアバスA320などの中型ジェット機の発着禁止が議論されてきたものの、利便性を優先するためもありこうした問題は今日まで先送りのままとなっている。
そうした中、1996年10月31日にリオデジャネイロに向けて離陸したTAM航空のフォッカー 100が、離陸直後にエンジンが故障し空港から2キロの住宅地に墜落し、乗客乗員95人と地上の20人が死亡した。
さらに2007年7月17日に、ブラジル南部ポルトアレグレ発のTAM航空3054便 (エアバスA320) がオーバーランして滑走路先の同社の貨物施設に激突、炎上するという事故が発生した。エアバス機の事故の原因は機体の制御装置の不具合によるものであると報道されているが、一部報道では滑走路の水はけの悪さによるハイドロプレーニング現象で機体がスリップしたことが原因の一つであるという指摘もある。なおエアバスA320型機の事故は、乗客乗員186人全員と地上の13人の死亡が確認されており、ブラジル航空史上最悪の事故となった(→ 記事を読む:サンケイウェブ、NPR)。
上記のように、敷地をこれ以上広げることができないためにただでさえ駐機エリアが狭い上に、2005年に運航を停止したものの、その後法廷闘争に入り資産の保全が求められたために売却や廃棄処分ができないままとなっているVASP航空のボーイング737型機やエアバスA300型機が、整備地域の駐機エリアに10機ほど放置されたままになっていた。
しかしその後、2014年に開催されるFIFAワールドカップ開催や、2016年にリオ・デ・ジャネイロで開催される夏季オリンピックの開催までにこれらの放置機材を処分することが必要であると言われていたことを受け、2013年に解体と撤去が行われた。
サンパウロはブラジル最大の都市であるにもかかわらず、上記のようにコンゴーニャス国際空港は滑走路が短いため、1960年代以降の長距離国際線の主力機材であった、ボーイング707やダグラスDC-8、そして1970年代に登場したボーイング747やマクドネル・ダグラスDC-10などの、離着陸に2000メートル以上の滑走路長を要する大型機材の就航が不可能な上、市街地にあり滑走路の延長など空港の規模拡張が困難であった。
その上に、長距離国際線にも対応する本格的な国際空港が、市内より100キロ近く離れたカンピーナス市にあるヴィラコッポス国際空港しかなく、サンパウロから海外へ向かう多くの乗客は、2時間近くかけてコンゴーニャス国際空港よりバスでヴィラコッポス国際空港に行くか、コンゴーニャス国際空港で出国手続きを終えた後にリオ・デ・ジャネイロのガレオン国際空港で国際線に乗り継いでおり(なお、フラッグキャリアのヴァリグ・ブラジル航空の長距離国際線は、ヴィラコッポス国際空港ではなくハブが置かれているガレオン国際空港を主に使用していた)、その利便性の低さが問題視されていた。このため、1960年代から市街近郊への新空港建設の必要性が叫ばれていた。
その後、1970年代に入り、新空港をサンパウロ市北東部のグアルーリョス市にあるブラジル空軍基地を拡張して建設することに決まり、その後1985年1月20日にグアルーリョス国際空港が開港した。
現在はシャトル便を中心とした国内線はコンゴーニャス空港、国際線とシャトル便以外の国内線はグアルーリョス国際空港、国内、国際貨物便はヴィラコッポス国際空港を使用することが多い。
市内中心部と近いことから、タクシーや自家用車でのアクセスの他、サンパウロ市内の主なホテルやバスターミナル、鉄道駅及び地下鉄駅との間には定期バスが高頻度で運行されている。なお、市内バスでの行先にある「AEROPORTO」(空港)行はこの空港を指す。また、グアルーリョス国際空港やヴィラコッポス国際空港との間にも、リムジンバスや各航空会社運行によるシャトルバスが運行されている。