嘆きの壁(なげきのかべ、Western Wall, Al-Buraq Wall, HaKothel HaMa'aravi, ヘブライ語:הכותל המערבי)は、エルサレム神殿のいわゆるヘロデ神殿の外壁の一部。神殿はユダヤ教で最も神聖な建物であった。
紀元前20年、ヘロデ大王によって完全改築に近い形で大拡張された神殿を取り巻いていた外壁の西側の部分であり、ユダヤ人は「西の壁」と呼んでいる。この部分を含め、外壁はその基礎部分がほぼすべて残されている。
訪れた人々が壁に触れて祈りをささげるため、人の背の高さの壁部分は黒ずんでいる(上部画像参照)。
Шаблон:節stub 嘆きの壁の歴史は、紀元20年頃ヘロデ大王が改築した神殿の西壁として始まる。
70年にユダヤ人による反乱(ユダヤ戦争)があり、ティトゥス率いるローマ軍により鎮圧される。この際、エルサレムは炎上し、神殿は破壊され西壁のみが残った。
バル・コクバの乱により、ユダヤ教徒のエルサレム立ち入りは禁止されていたが、ミラノ勅令により4世紀以降、1年に1日の立ち入りが許可されるようになる(詳細不明)。
1967年の第三次中東戦争以降、ユダヤ教徒はエルサレムへの立ち入りが許されるようになる。