ヴァイオントダム(伊:Diga del Vajont)は、イタリアのヴェネト州ピアーヴェ(Piave)川の支川ヴァイオント(Vajont)川の深い渓谷に作られた、アーチ型のダム。1963年に大規模な地すべりを起こしてダムとしては放棄された。一般には「バイオントダム」と表記されることが多いため、本記事でもこちらの名称を用いる。
2008年2月12日、UNESCOは国際惑星地球年の一環としてバイオントダムの事故を技術者と地質学者の失敗による「世界最悪の人災による悲劇」のワースト5の一つに認定した。
ピアーヴェ川総合開発計画の一環として計画された。1959年に着工され、1960年11月30日に竣工した。完成当時、堤高262mと当時の世界最大を誇った。ダムにより誕生したした人造湖は「バイオント湖」と呼ばれている。
貯水開始後、地震が頻発するようになり、水深が130mとなった時点で最初の地滑りが発生した。この地滑りで貯水池が二分される形になったため、両方を結ぶバイパス水路を建設した。
1963年、この年は記録的な豪雨に見舞われ、9月には貯水量を下げるために3本のトンネルから放水が行われた。そして10月9日22時39分、ダムの左岸の山が2km以上に渡って地滑りを起こして崩壊。2.5億<math>m^3</math>以上もの土砂がダム湖に流れ込み、ダム湖は再び二分された。これによりダム地点で最大100mを超す津波を引き起こし、5000万<math>m^3</math>の水が溢れ、ダムの右岸及び下流の村々を押し流した。この結果、ダムの工事関係者と下流に住む人2125人が死亡し、594戸の家屋が全壊するという大惨事となった。特に直撃を受けたロンガローネ村はほぼ全滅の被害を受けた。ダム自体は、最上部が津波により損傷したのを除いてほとんどダメージは無かった。
地滑りは、地下水位の急激な変動が引き金になるといわれており、バイオントダムではダム関係者が放流を急ぎ過ぎて水位降下が早かったのが原因だと指摘する声もある。
事故の責任を問う裁判が行われ、住民を避難させなかったとして8人の関係者が有罪となった。
また、この事故後、ダムの建設において周辺の地質を調べることが特に重要視されるようになった。どれだけ頑丈な堤防を作っても、周囲の山が崩落してはダム湖の水など簡単に溢れることが判ったためである。
事故後、土砂により分断されたダム湖の間に新たなバイパス水路が建設され、さらなる地滑りを防ぐために水圧を抜くための水路および水路橋が建設された。現在も、ダム及び周辺の山の観測データが定期的にイタリア電力公社(ENEL)へ報告されている[1]。
日本では地質が脆弱なことが多く、ダム地点の地質条件については慎重な調査と対策が行われてきたが、湛水域の地質についてはダム計画決定後に調査されることが多い。そのため、時には湛水域で小規模な地すべりが発生しているが、下流に被害が生じたことはない。2003年4月に奈良県の大滝ダムで試験湛水中に白屋地区地すべり(国交省発表の土量は200万<math>m^3</math>)が起こった。しかし斜面にクラックを生じた段階で試験湛水を中止し、地すべり対策をおこなったため、このときも下流に被害を生じていない。現在、大滝ダムは恒久対策が完了するまで本格的な運用を停止し、洪水調節ができない(出典:大滝ダム地すべり災害(奈良県)調査報告書,国土問題,68号,国土問題研究会,2006年4月,印刷中)。