ハットフィールド・ハウス(Hatfield House)は、イングランドのハートフォードシャーにある中世のカントリー・ハウス(貴族の館)。15世紀末に高位聖職者の邸宅として建造されたのち王室の宮殿のひとつとして使われ、17世紀初期にロバート・セシルが改築して自邸とした。現・所有者は子孫の第七代ソールズベリー侯ロバート・ガスコイン=セシルだが、一般公開されている。主館であるハットフィールド・ハウス、聖職者邸だったころの一部であるビショップ館、庭園のハットフィールド公園から成る。
15世紀末にイーリー大聖堂のモートン枢機卿によって建造されたが、ヘンリー8世の宗教改革の際に没収され、国王の子供たちの宮殿として使用された。メアリー1世やエリザベス1世らが育った場所として知られる。ジェームズ1世の時代にロバート・セシルが手に入れ、以降セシル家の邸宅として今に至る。大物政治家を輩出したセシル家の人脈が多数出入りする政界サロンとしても有名で、1903年には日英同盟締結を求められていた伊藤博文も招かれている。
モートン卿が建て、ヘンリー8世の子供たちが暮らした古い館を取り壊して、1607年から1612年にロバート・セシルが新たに造った3階建てレンガ造りのカントリー・ハウス。17世紀のイングランド建築の代表例で、ジェームズ1世様式の館としてはイングランドで五指に入る重要な建造物である。西翼が1835年の火災で破壊された。
もともとイーリー大聖堂の聖職者たちの邸宅で、国王らもしばしば訪れる場所だった。1480年にモートン卿が赤レンガ造りの新しい館を建てた。1515年ごろからヘンリー8世が別邸のように使いはじめ、娘のメアリー王女を住まわせていたが、1538年に正式に所有し、幼いエリザベス王女やエドワード王子(エドワード6世)も暮らしはじめる。1549年にジョン・ダドリーに譲られたが、エリザベスの反対によって戻され、メアリーの死で自らが即位する1558年まで暮らし、即位後もしばしば訪れた。エリザベスの死後、ジェームズ1世の妃アン・オブ・デンマークのものになったが、1607年にジェームズ1世がロバート・セシル邸との交換を望んだためセシル家のものとなり、主館は取り壊されて改築された。残された厩と門楼は15世紀の貴重な遺構として保存され、レストランなどに使われている。
ハットフィールド・ハウスの敷地と庭園を含む7500平方mの公園で、17世紀初期に造園され、19世紀半ば、20世紀後半に整備が行なわれた。ヘンリー・ムーアなどの野外彫刻も多数配置されている。
多くの作品のロケ地として使用されている。