ハービヒツブルク城(ドイツ語: Habichtsburg)は、スイス北部のアールガウ州に位置する古城。「大鷹の城」を意味し、ハプスブルク家(Habsburg)の家名の由来となった。現在では「ハプスブルク城」とも呼ばれる。
史料的に遡れる最古のハプスブルク家の祖先である「領地持ちのグントラム」(東フランク王国国王オットー1世から裏切りの罪で領地を没収されたアルザス地方のグントラム伯爵と同一人物と考えられている)の孫で、ストラスブール司教の座にあったヴェルナー1世・フォン・ハプスブルクが築城した。築城時期は1020年から1030年頃と考えられている。
幾度も増築が繰り返され、主要部分は11世紀から12世紀に完成された。1230年頃、すなわちハプスブルク初の神聖ローマ皇帝となるルドルフ1世の少年期には、すでにハプスブルク家の所有を離れている。
第一次世界大戦後、オーストリア=ハンガリー帝国最後の皇帝カール1世はスイスへの亡命に追い込まれた。スイス亡命時代のカール1世とその一家は、ハプスブルク家発祥の地であるこの城をたびたび訪れたという。カール1世は帝政崩壊後の1919年9月5日に誕生した五男に、スイスで生まれた始祖ルドルフ1世にちなんでルドルフと名付けている。