フェルガナ盆地(ウズベク語: Farg‘ona vodiysi;キルギス語: Фергана өрөөнү;タジク語: водии Фaрғонa;ロシア語: Ферганская долина;ペルシア語: وادی فرغانه)は、中央アジアのウズベキスタン共和国東部からキルギス共和国、タジキスタン共和国に広がる地域である。
標高400 mから500 mに広がる肥沃な峡谷で、南西に開けている。ナルイン川とカラダリヤ川の2つの河川が流入し合流、さらにナマンガン近くでシルダリヤ川に合流する。この2つの河川以外にも多くの川が流れ込み、主にシルダリヤ川に沿って土砂が堆積した。P-T境界期から早くも堆積物は6 kmから7 kmの厚さに達していたと想定される。断層は隆起・沈降が見られ、こうした褶曲が起こったところでは石油や天然ガスも埋蔵している。
非常に乾燥しており4月からの五ヶ月間は降水が見られない。3月から急速に気温が上昇し、6月には平均気温が35 °Cに達する。冬季の12月と1月は-20 °Cに達し、積雪が見られる。
1897年の人口調査によると、総人口は1,571,243人であった。1906年の調査では、総人口1,796,500人のうち、大多数がイスラム教徒で、総人口の3分の2はウズベク人とサルト人であった。彼らの居住地は峡谷部で、山岳部はキルギス人やカシュガル人、ブハラ語を話すブハラ・ユダヤ人、キプチャク人であった。これらを勘案してソ連は国境を策定したが、オシのように住民がタジク語を話すのにキルギスに編入された例もある。(オシュ州では1990年にタジク人とキルギス人はこのために衝突した)。
フェルガナ盆地には第二次世界大戦期にクリミア半島からスターリンによって強制追放されたクリミア・タタール人も住んでいる。(クリミア・タタール人追放を参照)
古くからシルクロードの重要地点で、カシュガルを抜けた後で、隊商はこの地で休息し、マルギランで作られる良質の絹や、汗血馬と呼ばれる良馬を求めた。19世紀になると、ロシアとの交易が中心となり、織物や砂糖、茶、羊毛、果物、タバコなども輸出され貿易額が急上昇した。
1898年にカスピ海横断鉄道がアンディジャンまで開通、1906年にはトランス・アラル鉄道も完成した。 1920年代にはキルギスのオシからタジキスタンのホログへのパミール・ハイウェイも完成した。