聖バーフ大聖堂(せいバーフだいせいどう、オランダ語: Sint-Baafskathedraal)は、ベルギー王国フランデレン地域の東フランデレン州の都市ヘント(ゲント、フランス語: ガン)にある、ローマ・カトリック教会の教会(司教座聖堂)。
ヘント市民が聖人として崇敬するヘントのバーフに由来している。日本語表記では、バーフの英語読みである「バボ」表記が用いられる場合もある。
1540年以降、聖バーフ教会となり、1559年以来はローマ・カトリック教会の司教座聖堂である。『神秘の子羊』(ヘントの祭壇画)が寄進され、紆余曲折を経て、再び本聖堂で公開されている。
元々は洗礼者ヨハネに献堂され、「聖(シント)ヤン教会」の名称だった。ヘントの城壁内で最も古い教会であるが、教区民の寄進によって建設が行われたため、完成までに長期間を要している。
毛織物職人のヨース・フェイトは、聖ヤン教会の管財人を務めており、1410年から1420年にかけて行われた南側の礼拝堂建設に際して寄進を行った。このときフーベルト・ファン・エイクに祭壇を飾る絵を注文し、これが後に『神秘の子羊』(ヘントの祭壇画)となった。祭壇画は1432年に完成した。
1500年2月24日、ブルゴーニュ公フィリップの長男としてカール(のち神聖ローマ皇帝兼スペイン王)が誕生し、3月7日にその洗礼式を本教会で執り行った。1538年頃、ヘントの市民たちが叛乱を企てるが、フランス王フランソワ1世から支援を得ることに失敗し、1540年2月24日に君主であるカールに無血開城する。カールは首謀者らを即処刑し、ヘントの様々な特権が剥奪された。この時、カールはスペイン兵を駐屯させるため聖バーフ修道院を取り壊して要塞としたため、同修道院から聖堂参事会を聖ヤン教会に移す許可を与えた。以後、聖バーフ教会として知られる。
カールの長男であるスペイン王フェリペ2世がネーデルラントを継承し、1559年5月12日、司教区を再編させ、聖バーフ教会をヘント教区の司教座聖堂とした。
『神秘の子羊』は、18世紀以降、散逸及び損傷したが、1919年のヴェルサイユ条約によりドイツからベルギーに返還された。しかし、1934年に盗難事件により、1枚のパネルが現在まで行方不明となっている。第二次世界大戦中は、フランスに疎開させたが、ヴィシー政権からナチス・ドイツの手に渡り、戦後、ヘントに返還された。1986年まで、フェイト礼拝堂に飾られていたが、盗難防止等のため旧洗礼堂に移設された。フェイト礼拝堂は狭く、絵全体を見ることが困難だった。祭壇画は2012年から2017年にかけて、最新の科学技術を用いて修復された後、再び聖バーフ大聖堂に戻されている。