アンカラ市街南東の丘の上に位置し、廟が建設される以前はラサットテペと呼ばれ、紀元前8世紀頃のフリギア人の古墳があった。この古墳は廟が建設される際に発掘調査されたのち取り壊された。
1938年のケマルの死と同時に、この丘に巨大な廟の建設が開始された。この廟が完成するまでケマルの棺はアンカラ市街を見下ろす丘に立つ邸宅(現在の民俗学博物館)に安置されていた。トルコ国内で産出した石材のみを用いて建設され、1953年9月1日に完成した。
ケマル・アタテュルクの墓のほか、ケマルが生前に愛用していた品々や各国から贈られた品々などを展示した博物館が併設されている。博物館にはケマルが活躍したガリポリの戦いや、サカリヤ川の戦いを再現したコーナーもあり、初代大統領の数々の業績を誇っている。
第二代大統領イスメト・イノニュの墓もある。