カールズバッド洞窟群国立公園(かあるずばっどどうくつぐんこくりつこうえん、Carlsbad Caverns National Park)はニューメキシコ州エディ郡南西角のグアダルーペ山脈(Guadalupe Mountains)に位置するアメリカ合衆国の国立公園である。
カールズバッド洞窟群国立公園(かあるずばっどどうくつぐんこくりつこうえん、Carlsbad Caverns National Park)はニューメキシコ州エディ郡南西角のグアダルーペ山脈(Guadalupe Mountains)に位置するアメリカ合衆国の国立公園である。 二畳紀の化石礁のあるカールズバッド洞窟 と多数の他の洞窟を保存するために設立された。 公園には83の洞窟がある。その一つ、レチュギア・ケイブ(Lechuguilla Cave)は、全米最深で長さは第3位(1,604フィート(489メートル))の石灰岩の洞窟である。 世界有数の大きさの地下室と無数の二次生成物をもつカールズバッド洞窟は、ガイドなしで自分で見て回ることも、1年中行われているパーク・レンジャーが案内する様々なツアーを利用することもできる。 観光客は、自由に天然の入口から入り内部の部屋をハイキングすることもでき、また、公開されている洞窟エリアの中心に直接エレベーターで行くこともできる(洞窟に入った人は全員このエレベーターから出ることになる)。
カールズバッドは、1923年10月25日に初めてナショナル・モニュメントに指定された。 米国議会は、1930年5月14日にこれをモニュメントから国立公園に格上げした。 カールズバッド洞窟群は、また1995年12月6日世界遺産に登録された。 公園の約3分の2は、環境に将来変更が加えられないように自然保護区域に指定された。
公園はクリスマスを除き一年中開いているが、訪問者の大多数は6月、7月、8月、そして週末、祝日に訪れる。 訪問者が最も少ない月は1月で、訪問者のピークは、通常、戦没者追悼記念日と独立記念日(7月4日)の週の週末である。 公園の入口は、ニューメキシコ州カールズバッド市の南西約18マイル(29キロメートル)、62/180号線沿いにある。
カールズバッド洞窟生成の物語は、2.5億年前にこの地域を覆う内海に長さ400マイル(600キロメートル)の礁ができたことに始まる。 この馬蹄形の礁は、海綿、藻、貝殻の残骸や水から直接沈殿した方解石によってできた。 礁が海で成長するにつれ、割れ目が広がった。 結局海は蒸発し、礁は塩と石膏の堆積物の下に埋まった。
そして、2、300万年前、この地域の隆起と侵食が、埋められた岩礁をむき出しにし始めた 空気と土壌により弱酸性となった雨水が、礁の裂け目にしみ込み、ゆっくりと石灰岩を溶かし、巨大な地下室を形成する過程が始まった。 同時に、硫化水素ガスが、古代礁の下の広大な原油とガスの鉱床から上方に移動した。 このガスが濾過された地下水に溶け込み硫酸となった。 この腐食性物質により付加された力は、通路の大きさを説明する。 露出した礁はグアダルーペ山脈の一部となり、地下室はカールズバッド洞窟の驚異となった。
つらら石、石筍、その他信じられないほど様々な形の二次生成物で、カールズバッド洞窟が飾られ始めたのは、洞窟の大半が切り出された後の、500,000年以上前のことである。 それはより湿度の高い、涼しい気候が支配的であったときに、ゆっくり一滴ごとに起きた。 各二次生成物の生成は、石灰石の岩盤や洞窟に滴り、またはしみ込む水に左右された。 雨滴は地面に落ち、下にしみ込む際、二酸化炭素を空気と土壌から吸収し、弱酸性となる。 雨滴はさらに下に移動し続ける際、小さな石灰岩に溶け、ほとんどの二次生成物を作るのに必要な基本成分、すなわち鉱物の方解石を吸収する。
いったん雨滴が洞窟の中に染み出すと、二酸化炭素が洞窟の空気の中に抜け出した。 雨滴はもはや溶けた方解石を保持することができなくなり、方解石の結晶として小さな鉱物を沈積させた。 無数の滴りの後、何千もの二次生成物が現れた。 水が天井からゆっくりと滴る場所では、鍾乳管とより大きなつらら石が現れた。 床に落ちる水は石筍を作り出した。 時々、つらら石と石筍は一つになって石柱を形成した。
水が傾いた天井から流れ落ちる場所では、カーテンが垂れ下がった。 壁や床の表面を流れる水が沈積し、流れ石と呼ばれる方解石の堆積層となった。 水のプールや小川が洞窟内で生じている場所に洞窟真珠、ハスの葉(lily pad)、ケイブ・ダムが現れた。 カキの真珠のように、洞窟真珠は一粒の砂や他の小さな物の周りに方解石が何層も重なってできたものである。 ハスの葉の形は、プールの表面に形成される一方、ダムは水がゆっくりと床を流れる場所に形成された。 洞壁や他の二次生成物でさえ飾るもう一つの二次生成物の種類は、ケイブ・ポップコーンで、水が蒸発しその後に方解石の堆積物を残す時に形成されるのかもしれない。
カールズバッド洞窟で生じているより変わった二次生成物は曲がり石で、重力は関係ないかのように成長する。その曲がりくねった形は結晶の形、混入物質、水圧によって決定される。 他の珍しい二次生成物は、方解石ではなく、霰石で出来ている。霰石は、方解石と化学的には同一だが結晶構造が異なる鉱物である。 これらの二次生成物は、どちらかというと小さく壊れやすく針に似ている。
カールズバッド洞窟は約100万匹のメキシコ・オヒキコウモリ(Mexican Free-tailed Bat)の聖域である。 日中コウモリは、カールズバッド洞窟の天然の入口の近くの通路、バットケイブ(Bat Cave)の天井に群がっている。 コウモリの暗い家の中では、コウモリを見ることができるのは科学者だけである。 しかし、夕暮れには、コウモリは巨大な群れとなって洞窟を飛び立つ。 暗く、速く動く雲のように、夜空を背景にして、コウモリは素晴らしいショーを見せる。
バットケイブは、メキシコ・オヒキコウモリにとって、暖かい家、日中の避難所、そしておそらく最も重要であろうが、子育てのための巣となっている。 コウモリは、毎年メキシコからカールズバッド洞窟へ子どもを生み育てるために移動する。 暗闇に隠れ、捕食者や邪魔者から離れて、6月に子どもが生まれる。
6種の異なったコウモリが洞窟内に棲んでいる。
メキシコ・オヒキコウモリの見ごたえのある夜の飛行は、カールズバッド洞窟の天然の入り口から2、3匹のコウモリが飛び出してきて始まる。 それから、数分で、コウモリは密集した旋風となって洞窟から暮れていく夜空へ急上昇する。 この大脱出は20分、長いときは2.5時間続く。 いったん洞窟から出ると、数千のコウモリの波状の塊は、ペコス・リバーとブラック・リバー谷で餌をとるためにヘビのような形になって南東に向かって飛んでいく。 そこにたどり着くと、ガや他の夜飛ぶ虫をむさぼり始める。 各コウモリは反響定位を使って、一晩で何度かお腹が一杯になるほどの虫を捕まえて食べることができる。 夜明けとともに、コウモリは一匹ずつあるいは小さな集団になって洞窟へ戻り始める。 洞窟への再突入は出発と同じくらい特筆すべきものである。 各コウモリは洞窟の入り口より高い位置につける。 それから羽を体にくっつけて、カールズバッド洞窟の暗闇の中に雹のように飛び込み、そのときに変わったブンブン飛び回る音を出す。 コウモリ達は、翌日の夕暮れ時に再び姿を現すまで眠るバット・ケイブの安全の中に一匹ずつ戻っていく。
数百年前 有史以前の アメリカ先住民は避難場所を求めて思い切って洞窟の中を探検したのかもしれない。 彼らが描いた洞窟壁画は入口付近にまだ残っている。 そのずっと後、19世紀に米国の開拓民は洞窟を発見し、夕刻、天然の入口から無数のコウモリが飛び立つ光景に惹きつけられた。 その後まもなく、アバイジャ・ロング(Abijah Long)という名の地元のビジネスマンが、洞窟の中のコウモリの鳥糞石の大きな堆積物を掘り出し、肥料として売るという請求を申し立てた。 ロングの仲間の一人で、ジム・ホワイトという名のカウボーイは、洞窟に魅せられるようになり、探検に何時間も費やした。 ホワイトはこの特別な場所でのたくさんの自然の驚異を他人に見せたかったが、珍しい二次生成物に満ちた巨大な地下のウィルダネスについての彼のありそうもない話を信じる人はほとんどいなかった。 カールズバッド洞窟は言われるとおりのものあるいはそれ以上のものであると、疑い深い人を説得するには写真が必要だった。
ホワイトは多くの部屋を探検し、それらに名前をつけた。そこにはビッグ・ルーム、ニュー・メキシコ・ルーム、王宮(King's Palace)、王妃の間(Queen's Chamber)、赤ちゃんの部屋(Papoose Room)、グリーン・レイク・ルームが含まれる。 彼はまた洞窟の目だった二次生成物の多くに名前をつけた。例えば、トーテム・ポール、魔女の指(Witch's Finger)、ジャイアント・ドーム、底なし穴(Bottomless Pit)、妖精の国、氷山の岩、太陽の寺院(Temple of the Sun)、千歳の岩(Rock of Ages)がある。
ホワイトと一緒に洞窟を旅したレイ V. デイヴィスが撮影した白黒写真は、1915年カールズバッドの町で展示された。 これはセンセーションを巻き起こした。 人々は突然自分で脅威の洞窟を見たいと騒ぎ立てた。 ホワイトは、かつては洞窟からコウモリの鳥糞石を運んでいたバケットの中に入って170フィート降下するという形式ばらない方法で始まるツアーに人々を連れて行った。
洞窟のうわさが広がり、とうとうワシントンD.C.に届いた。 また、信じない人達がいたが、1923年、アメリカ合衆国内務省は、カールズバッド洞窟が本当に傑出した自然の美しい驚異かどうか調べるために、総合土地事務所の鉱物検査官ロバート・ホリーを派遣した。 元々ホリーは懐疑的であったが、探検隊とともに5週間の調査を行った後、最終報告書に次のように書いた。
"...私は、深く対立する感情、恐怖と畏敬、人間の目に提示された大自然の驚異の複雑な集合体としての神聖な創造主の作品を真に理解したいという欲望を伝えようとする自分の努力が不十分だとよく自覚している ...."その後1923年10月25日、カールズバッド洞窟はナショナル・モニュメントに指定された。 ホワイトは、人生の時間の多くを洞窟の探検に費やし続けたが、1925年最初の公園案内責任者(chief park guide)となった。 その5年後にカールズバッド洞窟群国立公園がその洞窟を保護するために設立された。 ナショナル・ジオグラフィックのような雑誌で写真入りの記事が公表されることを通じて、--それは1924年及び1925年(地質学者ウィリス・T・リーの探検に基づいて)のことであるが、--そして口コミで、カールズバッド洞窟は世界で最も有名な洞窟の一つになった。 設立来、公園は拡げられてきており、今日では面積189平方キロメートル(46,766エーカー)となり、80以上の小さな洞窟を含んでいる。
カールズバッドの町、したがってカールズバッド洞窟群国立公園はチェコ共和国のカルロビバリ(Karlovy Vary)(Karlsbad - 文字通りドイツ語でチャールズの風呂(Charles' Baths))から名前を取ったと言われている。
カールズバッド洞窟はその神秘のいくつかに光を当てたいと思う多くの人々を惹きつけている。 安全な探検技術に通じた洞窟探検家のチームが、洞窟の新しい部分を発見し続けている。 彼らが近年発見したものの中には、1966年のカールズバッド洞窟の第2の大きさの部屋、グアダルーペ・ルーム、1982年の非常にカラフルで良く装飾されたビフロスト・ルーム、1993年の最も新しい発見の一つであるチョコレート・ハイがある。
1985年非常に特色のある探検方法が発明された。 ドーム・エリアで、ビッグ・ルームの床から250フィート上の、底なし穴から遠くない場所に石筍が身を乗り出した。 ヘリウムで満たされた風船をつけたバルサ材を使って、探検家達は--数年にわたる数次の試行の後--目標のつらら石にひっかけた軽量のひもを浮かべた。 いったん軽量のひもが地面から上がって元に戻って準備が完了した後、登山用ロープの準備が整い、探検家達は彼らが精霊の世界と呼んだものに上がっていった。
レチュギア・ケイブは1986年に発見された洞窟で、公園で現在行われている洞窟探検の焦点である。 洞窟は深さ489メートルで、米国最深の石灰岩の洞窟である。 一般人は立入禁止で、洞窟を最も平穏な状態で保全するため正確な場所は秘密にされた。
底なし穴は元々底がないといわれていた。 石を投げ込んでも底にぶつかる音がしなかった。 最近の探検により、底は約300ヤードの深さで軟泥に覆われていることがわかった。 石が底を打っても音がしないのは、軟泥につかえるためである。
洞窟学者達による科学的発見は、その他の面でもカールズバッド洞窟についての我々の知識を拡大しつつある。 研究により、カールズバッド洞窟の複雑な成り立ち、コウモリや洞窟に棲む他の動物の未知の世界、人間の活動が洞窟に及ぼす影響についてのいくつかの質問に答えられるようになりつつある。
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。