グリニッジ子午線(グリニッジしごせん、Prime meridian at Greenwich)とは、イギリス・ロンドン郊外グリニッジの旧王立グリニッジ天文台跡地を通る子午線(経線)である。本項目ではグリニッジ子午線自体の歴史について説明する。
現在、国際的に使用されている本初子午線(経度0度の子午線)は、グリニッジ子午線を継承したIERS基準子午線であり、およそ100m東を通っている。
グリニッジ天文台は、基準子午線を決定するための観測のために1675年に設置された。初代台長ジョン・フラムスティードはグリニッジ天文台で観測した厳密な恒星図を作り世界各地でグリニッジとの観測時間の差を測定すればグリニッジ天文台との経度差が分かると考え、フラムスティード天球図譜という星図を製作した。この星図はその後、航海者によって広く使われた。一方、他国もそれぞれの国の天文台を基点とした星図を作った。しかし1750年代、イギリスが世界的な海運国になると星図もフラムスティードのものが全ヨーロッパ的に使われることが多くなった。世界の海図の多くも早くからグリニッジ子午線を基準に採用した。
1851年、当時の台長ジョージ・ビドル・エアリーがグリニッジ天文台の当時の本館に子午環を設置した。以降はここがグリニッジ子午線の基準点となった。この子午環の位置はWGS84ではである。
1884年時点で、世界の3分の2以上の船が、グリニッジ子午線を基準とした海図を使用していた。1884年10月、アメリカ大統領チェスター・A・アーサーの提唱により、25ヶ国41の代表者がワシントンD.C.に集まって国際子午線会議Шаблон:Enlinkが開かれた。この会議でグリニッジ子午線を、陸域も対象とする世界の公式な本初子午線とすることが採択された。しかし、フランスは評決を棄権し、その後も1911年までパリ子午線を使用し続けた。
グリニッジ天文台の中庭の地面には、グリニッジ子午線を示すステンレス製の帯が埋め込まれている。また、1999年12月16日からは、夜間に緑色のレーザー光線を北のロンドンの方向に照射して、グリニッジ子午線を示している。
グリニッジ子午線はイギリス、フランス、スペイン、アルジェリア、マリ、ブルキナファソ、トーゴ、ガーナ、南極大陸のドローニング・モード・ランドを通過する。