ヘラクレスの塔(ガリシア語・スペイン語共にTorre de Hércules)は、スペイン・ガリシア州のア・コルーニャ県の県都ア・コルーニャの市街から2.4キロメートル離れたところにあるローマ建築の灯台である。55メートルの高さがあり、灯台からは北大西洋を一望することが出来る。既に建築されて1,900年程の時が経過している。1791年には改築工事が施されているが、ローマ時代以来の灯台は、21世紀になった今もなお、現役の灯台として利用されている。
ヘラクレスの塔は、スペインにおいて、Faro de Chipionaについで高い灯台である。
2009年6月27日、UNESCOの世界遺産に登録された。
ヘラクレスの塔は、2世紀ごろに建築された灯台である。トラヤヌス(在位98年-117年)の時代に建築あるいは現在の姿に近い形で改築されたとされている。もともと、ヘラクレスの塔の基礎部分は、フェニキア時代のものである。ヘラクレスの塔は、アレクサンドリアのファロスの灯台をモデルに建築されたと考えられている。塔の基礎部分にあるコーナーストーンには、 MARTI AUG.SACR C.SEVIVS LUPUS ARCHTECTUS AEMINIENSIS LVSITANVS.EX.VOというラテン語で、ルシタニア属州アエミニウム(現在のポルトガル・コインブラ)出身の建築家であるガイウス・セヴィウス・ルプスがローマ神話の神であるマルスにささげる文章が残る。
2世紀からヘラクレスの塔は、灯台としての利用がなされていることから現存する最古の灯台であることは確実である。灯台の頂には光源であるランプが置かれ、夜には煌々と光を周辺にもたらしていた。
ヘラクレスの塔に関して、2番目に古い記述は、415年から417年にかけて、パウルス・オロシウス(en)がHistoriae adversum Paganosに書いた記述である。
1788年、新古典主義建築の装いを与えられる形で、ヘラクレスの塔は、改築が施された。4層21メートルの高さになった。この改築はカルロス3世の統治時代であり、海軍の技師であるEustaquio Giannini によって、改築の指揮がなされ、1791年に完成した。この改築により、ヘラクレスの塔は、ローマ時代の状態を残しつつも、中世ヨーロッパの石造部分も持つ灯台へと変貌した。
ローマ人は、スペインを征服した際に、ここが地球の果てと考えていた。そのことは、Finisterraという言葉で比喩されている。この地域は、難破が頻発する地域であり、「死の海岸」を意味するCosta da Morteという悪名がつくほどであった。
長い時代を通じて、多くの神話が紡がれてきた。ケルト神話・ギリシア神話・ローマ神話の要素が混同して成立した神話によると、ギリシア神話の英雄であるヘーラクレースがゲーリュオーンを三日三晩の格闘の末に、海に投じた場所だとされている。ケルト神話によれば、ヘーラクレースは、ゲーリュオーンの首をこの地に埋葬し、この上に都市を建設するように命じたとされている。ラ・コルーニャの紋章としてもヘラクレスの塔は用いられているが、紋章に描かれているどくろは、ヘーラクレースに敵対したゲーリュオーンのものとされている。
11世紀には、別の伝説が紡がれた。”Labor Gabala Erren”(『侵略の書』)には、ガリシアからやってきたケルト人の王様であるブレオガン王(en)が自分の息子が遠くから見ても分かることができるように、十分な高さの塔を建設した。塔を一瞥することが可能となったことで、息子たちは船を北に進路を取って、アイルランドへ行くことができた。ブレオガン王の巨大な像が塔の近くに建設され、現存している。
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。