スカラ・ブレイ(Skara Brae ; 発音ˈskɑrə ˈbreɪ)は、スコットランドに残る新石器時代の石造の集落遺跡である。オークニー諸島のメインランド島西岸のスケイル湾(Bay of Skaill)にある。10の密集家屋群から成り、紀元前3100年から紀元前2500年頃に定住生活が営まれていた。新石器時代の整った集落が良好な保存状態で残っていることが評価され、他のメインランド島の遺跡群とともに「オークニー諸島の新石器時代遺跡中心地」として、ユネスコの世界遺産に登録された。
1850年までスカラ・ブレイは土に埋もれたままだった。しかし、その年の冬の大嵐で、スケラブラ(Skerrabra)として知られていた小丘から、草が剥ぎ取られた。その結果、いくつかの石造建築物群の輪郭が露出し、スケイルの地主であったウィリアム・ワット(William Watt)によって、最初の発掘が行われた。スカラ・ブレイが完全に姿を現したのは1928年から1930年にかけてVere Gordon Childeが行った発掘作業のときである。この発掘は1926年の大嵐を受けてのものだった。
スカラ・ブレイの住民は、明らかにgrooved wareの作り手であり使い手であった。彼らの住居は地下シェルター状だったが、それは以前から存在していた貝塚(middens)として知られるごみの山の下に築かれた。ごみ山の層は住居の安定性という点では難があったが、そこに築かれた最大の目的は、何層にも重なるごみ山が断熱材の役割を果たして、オークニーの厳しい冬を凌ぐことが出来る点にあった。住居は平均すると 40 m² くらいで、そこには調理や暖を取ることを目的とした炉のある大きな正方形の部屋があった。島には樹木が乏しかったため、屋根葺きの材料には流木、鯨のひげ、芝の藁などが利用された。
住居には、食器棚、衣装棚、椅子、収納箱などの石造家具類が多く存在していた。洗練された排水システムが村のデザインに組み込まれており、各住居には原始的なトイレも据え付けられていた。住居群のうち7件は同じような家具を備えており、寝台と衣装棚は各住居の同じ場所にある。その衣装棚は入り口の向いの壁に据え付けられており、その住居に入った人が真っ先に目にするようになっている。
8番目の家には収納箱も衣装棚もなく、中が小部屋に分かれている。この家が発掘されたとき、石、骨、枝角などの断片が出土した。そのため、この家は石斧や骨角器といった簡単な道具を製作していた作業場であった可能性が指摘されている。
遺跡にはヨーロッパ最古となる、人に寄生するノミ(Pulex irritans)の痕跡も見つかっている。
放射性炭素年代測定によって、スカラ・ブレイには紀元前3100年頃から600年ほどにわたって人が住んでいたことが明らかになっている。気候が変動し、ますます寒冷で湿潤になった紀元前2500年頃に、スカラ・ブレイは放棄されたようである。何故、この時期に突然住民が去ったのかについては様々な仮説が提示されているが、いずれも推測を裏付けるような決定的な証拠を伴うものではない。
現在目にすることの出来る遺跡群は、それだけで有機的な統一性を保っているが、海の浸食作用によって失われてしまった構成要素部分がどれくらいあったのかは、未解明である。
似た遺跡としては、より小さなものではあるが、RousayのRinyoにある。 Rousay では、メイズハウが他の墳墓とは異なる墓が発見されている。また、多くのOrkney-Cromarty のチェンバード・ケアンが存在してはいるが、それらを建造したのは unstan wareを用いていた人々である。
オークニー諸島に残るKnap of Howarは、保存状態の良好な新石器時代の農場跡である。それは紀元前3500年から紀元前3100年に遡るもので、デザイン面でスカラ・ブレイに類似しているが、それよりも古く、北ヨーロッパの現存最古の建造物遺跡と考えられている