太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)は、福岡県太宰府市宰府(さいふ)にある神社。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は梅紋である。菅原道真(菅原道真公、菅公)を祭神として祀る天満宮の一つ(天神様のお膝元)。初詣の際には九州はもとより日本全国から毎年200万人以上、年間にすると850万人以上の参詣者がある。現在、京都の北野天満宮とともに全国天満宮の総本社とされ、また菅公の霊廟として篤く信仰されている。
祭神
学問の神として広く知られている。
歴史
右大臣であった菅原道真は昌泰4年(901年)に左大臣藤原時平らの陰謀によって筑前国の大宰府に員外帥として左遷され、翌々年の延喜3年(903年)に同地で死去した。その死後、道真の遺骸を安楽寺に葬ろうとすると葬送の牛車が同寺の門前で動かなくなったため、これはそこに留まりたいのだという道真の遺志によるものと考え、延喜5年8月、同寺の境内に味酒安行(うまさけのやすゆき)が廟を建立、天原山庿院安楽寺と号した。一方都では疫病や異常気象など不吉な事が続き、さらに6年後の延喜9年(909年)には藤原時平が39歳の壮年で死去した。これらのできごとを「道真の祟り」と恐れてその御霊を鎮めるために、醍醐天皇の勅を奉じた左大臣藤原仲平が大宰府に下向、道真の墓所の上に社殿を造営し、延喜19年(919年)に竣工したが、これが安楽寺天満宮の創祀である。
それでも「道真の祟り」は収まらず、延喜23年(923年)には皇太子保明親王が21歳で死去。狼狽した朝廷は、延長と改元したうえで、4月に道真の官位を生前の右大臣の官職に復し、正二位の位階を追贈した。しかしそれでも「祟り」が沈静化することはなく、保明の遺児慶頼王が代わって皇太子となったものの、延長3年(925年)には慶頼もわずか5歳で死去した。そしてついに延長8年(930年)6月、醍醐天皇臨席のもとで会議が開かれていた、まさにその瞬間、貴族が居ならぶ清涼殿に落雷があり、死傷者が出る事態となった(清涼殿落雷事件)。天皇は助かったが、このときの精神的な衝撃がもとで床に伏せ、9月には皇太子寛明親王(朱雀天皇)に譲位し、直後に死去するに至った。承平元年(931年)には道真を側近中の側近として登用しながら、醍醐と時平に機先を制せられその失脚を防げなかった宇多法皇も死去している。わずか30年ほどの間に道真「謀反」にかかわったとされた天皇1人・皇太子2人・右大臣1名以下の高級貴族が殺害されたことになる。猛威を振るう「怨霊」は鎮まらず、道真には太政大臣追贈などの慰撫の措置が行われ、道真への御霊信仰は頂点に達した。ついに正暦元年(990年)頃からは本来は天皇・皇族をまつる神社の社号である「天満宮」も併用されるに至った。寛和2年(986年)、道真の曾孫菅原輔正によって鬼すべ神事が始められるようになった。
文明12年(1480年)に当地を訪れた連歌師の宗祇が『筑紫道記』にこの安楽寺天満宮のことを記しているが、道真の御霊に対する恐れも少なくなってきた中世ごろから、道真が生前優れた学者であったことにより学問の神としても信仰されるようになった。
明治に入り、近代社格制度のもとで明治4年(1871年)に国幣小社に列格するとともに神社名を太宰府神社に変更した。これは北野天満宮が近代社格制度のもと「北野神社」に変更したのと同様に、「宮」号が基本的には皇族を祭神とする神社しか使用できなくなったからである。同15年(1882年)には官幣小社に昇格、次いで同28年(1895年)には官幣中社に昇格した。神社の国家管理を脱した戦後の昭和22年(1947年)に社号を太宰府天満宮に復した。
祭神の菅原道真が「学問の神様」であると同時に「文化の神様」としても信仰されていたため、それぞれの時代の人々による和歌・連歌・歌舞伎・書画の奉納を通じて、文芸・芸能・芸術、いわゆるアートと関係が深まっていった。特に奉納絵馬は九州でも指折りの質量となっており、それを掲げた絵馬堂はギャラリーとしての役割を果たしている。
参道を登りつめた先には延寿王院があり、ここは幕末維新の策源地といわれ、三条実美たち公卿5人が3年半余り滞在した所である。土佐脱藩の土方久元や中岡慎太郎も滞在しており、薩摩の西郷隆盛や長州の伊藤博文、肥前の江藤新平、坂本龍馬なども来訪している。
太宰府天満宮・北野天満宮・防府天満宮を合わせて「三天神」と呼ぶ。三天神には諸説あり、太宰府と北野天満宮までは共通するものの、あとの一つを大阪天満宮等とする説も存在する。
神事
- 初詣(歳旦祭) - 1月1日
- 鬼すべ - 1月7日
- 鷽替え - 1月7日
- 初天神祭 - 1月25日
- 梅花祭 - 2月25日
- 曲水の宴 - 3月第1日曜日
- 斎田御田植祭 - 6月中旬
- 神幸式大祭 - 9月21日〜9月25日
- 例祭 - 9月25日
- 秋思祭 - 旧暦9月10日
- 特別受験合格祈願大祭 - 10月18日
社殿
本殿は五間社流造で屋根檜皮葺。正面に1間の唐破風造の向拝(こうはい)を設ける。また、左右側面には各1間でこれも唐破風造の車寄を付け、廻廊が前方の楼門まで廻らされている。本殿は明治40年(1907年)5月27日に古社寺保存法に基づく特別保護建造物に指定され、昭和25年(1950年)文化財保護法施行に伴い重要文化財とされている。昭和41年(1966年)6月11日付で棟札9枚と板札2枚が重要文化財の附(つけたり)として指定されている。
太宰府天満宮を舞台にした作品
要整理
能楽
能では一番目に演じられる初番目物(しょばんめもの)。粗筋は梅津の某(ワキ)が夢の告げで筑紫安楽寺(太宰府天満宮)に行くと、老人(前シテ)と若い男(ツレ)が咲き誇る梅の垣を囲っている。飛梅(後述)とその脇の古松(老松)の謂われを尋ねると、2人はその謂われを語り、梅と松が唐の国でも尊ばれたことを述べて神々しい姿で去る。梅津の某が老松のかたわらに祗候していると、老松の神霊(後ジテ)が現れ、客人を慰めようと様々な舞楽を奏し神託を告げる。この後ジテは老人の面に白髪をたれた老神の姿で登場し、その舞いは荘厳な真ノ序ノ舞である。因みにツレの若い男は実は飛梅の精で、飛梅とは道真が京から左遷された時、京から飛んできたとされる梅である。江戸時代、徳川将軍家では「高砂」とともに筆頭祝言曲とされた。
歌曲
- 大和田建樹『鉄道唱歌』第2集山陽九州篇
- 41.まだ一日とおもいたる 旅路は早も二日市 下りて見てこん名にききし 宰府の宮の飛梅を
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42.千年(ちとせ)のむかし太宰府を おかれしあとは此処(このところ) 宮に祭れる菅公の 事績かたらんいざ来たれ
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43.醍醐の御代の其(その)はじめ 惜しくも人にそねまれて 身になき罪をおわせられ ついに左遷と定まりぬ
- 44.天に泣けども天言わず 地に叫べども地もきかず 涙を呑みて辺土なる ここに月日をおくりけり
- 45.身は沈めども忘れぬは 海より深き君の恩 かたみの御衣を朝毎(あさごと)に ささげてしぼる袂かな
- 46.あわれ当時の御心を おもいまつればいかならん お前の池に鯉を呼ぶ おとめよ子等(こら)よ旅人よ
- 47.一時栄し都府楼の あとをたずねて分け入れば 草葉をわたる春風に なびく菫(すみれ)の三つ五つ
- 48.鐘の音きくと菅公の 詩に作られて観音寺 仏も知るや千代までも つきぬ恨みの世がたりは
鉄道唱歌第2集は全68番であるが、そのうち太宰府には8分の1弱に当たる8番を割り当てており、作者の建樹が道真と天満宮に強い関心を持っていたことを窺わせる。
さだは、自身の所有する詩島に太宰府天満宮の分霊を祀った「詩島天満宮」を建立している。
小説
主人公「僕」と桜良が福岡を旅行する中で太宰府天満宮に参拝するシーンがある。2017年に映画化された際、実際に当地でロケも行われている。
文化財
国宝
- 翰苑巻第卅(書跡) 平安時代の作。1954年(昭和29年)3月20日指定。
重要文化財(国指定)
- 本殿(附 棟札9枚、板札2枚)(建造物) 桃山時代の造営。1907年(明治40年)5月27日指定。
- 末社志賀社本殿(建造物) 室町時代中期、長禄2年(1458年)造営。1907年(明治40年)5月27日指定。
- 毛抜形太刀 無銘(工芸品) 平安時代の作。1923年(大正12年)3月28日指定。
- 太刀 銘俊次(工芸品) 鎌倉時代の作。1912年(大正元年)9月3日指定。
- 梅月蒔絵文台(工芸品) 裏面に信元(花押)の蒔絵銘がある。室町時代の作。1980年(昭和55年)6月6日指定。
- 太宰府天満宮文書 78巻・25冊・1幅(附 大宰府天満宮境内図(着色)1幅)(古文書)
平安時代から江戸時代の文書。1982年(昭和57年)6月5日指定。
- 蓮華唐花文塼(考古資料)
福岡県筑紫郡太宰府町大字観世音寺出土。奈良時代の作。1961年(昭和36年)6月30日指定。
国の天然記念物
- 太宰府神社のクス - 1922年(大正11年)3月8日指定。
- 太宰府神社のヒロハチシャノキ - 1935年(昭和10年)6月7日指定。
福岡県指定文化財
- 有形文化財
- 天満宮の石造鳥居(建造物)
- 天満宮の石造燈籠(建造物)
- 北野天神縁起(絵画)
- 木造狛犬(彫刻)
- 銅製鰐口(工芸品)
- 鉄製雲版(工芸品)
- 鶴亀文懸鏡(工芸品)
- 銅製麒麟並に鸞(工芸品)
- 銅製神牛(工芸品)
- 銅製花瓶(工芸品)
- 太宰府天満宮飛梅柵擬宝珠(工芸品)
- 滑石硯(考古資料)
- 銅製経筒(考古資料)
- 石製経筒(考古資料)
- 瓦経(考古資料)
- 蒙古碇石(考古資料)
- 有形民俗文化財
- 無形民俗文化財
- 天然記念物
太宰府市指定文化財
- 有形文化財
- 相輪橖(建造物)
- 老松社本殿(建造物)
- 六座の面(附 納入箱)(彫刻)
- 天然記念物
名物
飛梅にまつわるものが多い。
大宰府へ赴くため都を発つ道真が庭先に立っている梅に対して「東風ふかば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」と歌った。太宰府天満宮拝殿・右手前にその飛梅が立っている。
毎年梅の花が咲く頃には巫女が「梅の使節」として総理大臣官邸など各地を訪れて梅の盆栽を寄贈する。平成16年度(2004年度)の梅の使節が当時の総理大臣小泉純一郎に梅を寄贈したが、その際渡した品種が『おもいのまま』という梅だったため、当時構造改革などで政界を変革しようとする首相に、記者たちが挙って「政治もやはりおもいのままですか?」と質問した。
太宰府天満宮での御神酒は梅酒である。
また参道には梅ヶ枝餅と呼ばれる餡入りの焼き餅を販売している店が並んでおり、製作している風景も楽しめる。
茶屋
表参道から境内の奥まで、いたるところに茶屋があり、その多くは品目のうちに梅ヶ枝餅を用意している。そうした茶屋のひとつ「お石茶屋」について、吉井勇は次のような歌を詠んだ。
太宰府の お石の茶屋に 餅くへば 旅の愁ひも いつか忘れむ
この「お石茶屋」については勇のほかにも、野口雨情、犬養毅、佐藤栄作などが揃って贔屓にしたという。
百選
- かおり風景100選:太宰府天満宮の梅林とクスノキの森
- 新日本様式100選:太宰府天満宮の季節ごとに色が変わるおみくじ
雑事
警察庁発表の初詣者数では、毎年上位10位内に入り、初詣以外にも観梅の時季には観光客(参拝者)数が増加する。また学問の神とされることから受験時にも多くの参拝があり、九州への修学旅行の行程に組み込まれるほか、海外からの観光ツアーにも組み込まれてもいる。近年では韓国の釜山と博多港とを行き来する高速船「ビートル」や「コビー」の利用で、韓国からの旅行者が増加し続けている。
平成17年(2005年)に天満宮近隣に九州国立博物館が開館。相乗効果で参拝者数が増加している。この九州国立博物館(通称「九博」)は、昭和46年(1971年)に天満宮が寄贈した約5万坪の土地を敷地としている。
大相撲九州場所が行われる際には、元横綱・旭富士の伊勢ヶ濱部屋が境内に宿舎を構える。また傘下法人に幼稚園を運営する学校法人があり、卒園生でもある宮司の西高辻信良が園長を務め、伊勢ヶ濱部屋力士と園児の交流にも積極的に取り組む。
平成27年(2015年)には女性音楽グループのももいろクローバーZが、本殿前に特設ステージを設けてコンサートを行った(観客は別会場の大型スクリーンで視聴)。
俳優の菅原文太は生前に太宰府天満宮信徒会の会員となり、自身の長男が亡くなった際には境内の霊園に墓所を建立した。菅原自身も2014年に亡くなった後に境内の墓所に納骨されている。
交通
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正月三が日は初詣客で周辺道路は大変混雑する。九州自動車道太宰府インターチェンジを降りて太宰府方面へ向かうと国道3号に出るが、交通規制により、すぐ側道を経由後左折して「水城1丁目交差点」から福岡県道112号を進み、同「関屋交差点」を左折後は福岡県道76号を利用し天満宮に向かうこととなる。この際所要時間は通常15分前後が数時間となる。ちなみに、国道3号を直進しても「君畑交差点」までの各交差点においては、インターチェンジ方面からの左折及び進入が規制されている。また、三が日以外の日においても志望校合格祈願の受験生と合格者のお礼参りが集中する例年1月から3月にかけての土日祝日を中心に混雑する。元々天満宮周辺の駐車場が不足気味であること、九州国立博物館への来訪者が同館の開館後に加わったこともあり、渋滞が顕著となり今後解消に向かって解決策が講じられる見込みもないため、自家用車の利用は推奨できない。これらの時期においては、西鉄電車西鉄太宰府線を利用した方が無難である。
JR・私鉄
- 西鉄太宰府線太宰府駅から徒歩5分
- JR鹿児島本線二日市駅から西鉄バスで23分
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1時間に1本程度の運行のため、時間が合わない場合はJR二日市駅から西鉄バスもしくは徒歩12分でたどり着く西鉄二日市駅から、またはJR二日市駅から徒歩5分の西鉄紫駅から1駅の西鉄二日市駅から西鉄太宰府線を利用するのがよい。
車
- 九州自動車道太宰府インターチェンジから15分
- 九州自動車道筑紫野インターチェンジから20分
周辺施設
- 九州国立博物館(用地を天満宮が寄付し、連絡通路(「虹のトンネル」)で直結している)
- だざいふ遊園地(太宰府天満宮と西日本鉄道の合弁)
- 二日市温泉 (筑紫野市)
- 天拝山(別名、天判山 菅原道真公が無実を天に訴えた山)
- 武蔵寺(菅原道真公がこの寺の紫藤の瀧で身を清めた)
脚注
参考文献
- 『太宰府市史』通史編2、太宰府市、平成16年
- 浦辺登『太宰府天満宮の定遠館』、弦書房、2009年。ISBN 978-4-86329-026-6
- 岡田米夫『神社』(日本史小百科)、東京堂出版、昭和52年
- 高野澄『太宰府天満宮の謎』、祥伝社、平成14年。ISBN 4-396-31306-3
- 筑紫豊『さいふまいり』、西日本新聞社、平成7年
- 森弘子『太宰府発見』、海鳥社、2003年
関連図書
- 安津素彦・梅田義彦編集兼監修者『神道辞典』神社新報社、1968年、36-37頁
- 白井永二・土岐昌訓編集『神社辞典』東京堂出版、1979年、214-215頁
- 上山春平他『日本「神社」総覧』新人物往来社、1992年、262-263頁
関連項目
- ハワイ金刀比羅神社・ハワイ太宰府天満宮
- 神社一覧
- 四神相応
- 天神信仰
- 天満大自在天神
- 榎社
- 光明禅寺
- 西高辻家
- 飛梅
- 福島県立福島高等学校 - 当天満宮から梅の木が寄贈された。神社以外に寄贈されるのは異例。
外部リンク