捨子古丹島(しゃすこたんとう)は千島列島の中部に位置する火山島である。ロシア名はシアシュコタン島(о.Шиашкотан)。英語表記はShiashkotan。
地名の由来はからアイヌ語であるが、山田秀三は「語義不明」としながらも「シャク・コタン(夏の・村)」や「シャシ・コタン(昆布・村)」との仮説を唱えている。
なお、元禄御国絵図には本島が「しあしこたん」と表記されており、意味は「シ・アシル・コタン(大きい新村)」との記述がある。
北東から南西に向けて長さ約25km、最大幅9km、最小幅900mの距離を有し、瓢箪のような形を形成している。捨子古丹海峡(ロシア名:セヴェルギン海峡 пр.Севергина)を挟んだ北東方約16海里に春牟古丹島が、南西方約9海里には、間に牟知列岩(むしるれつがん、ロシア名:ロヴシュキ列岩 Скалы Ловушки、ロシア語で「罠」の意)を挟んで雷公計島がそれぞれ隣接し、また越渇磨海峡(ロシア名:エカルマ海峡 пр.Экарма)を挟む北西方、約5海里には越渇磨島がある。
島の中央部の鞍部にあたる西側には乙女湾と呼ばれる、砂浜からなる湾があり、それ以外は概ね断崖となっている。主な火山を北から並べると以下の通り。
いずれも時折噴気・噴煙の見られる火山である。
古来より、本島の高さ200m程の崖の上には千島アイヌが居住していた。現在はその痕跡が残っている。また、ラッコが多く生息し、幌筵島や占守島に住んでいたアイヌの人々が来島して、これを捕らえていたという。
日本領時代、捨子古丹島は北海道根室支庁占守郡に所属していたが、サンフランシスコ平和条約以後、日本政府は国際法的には所属未定地と主張しているが、現在はロシア連邦が実効支配している。また、ロシアではサハリン州北クリル地区に属すると認識している。