博物館 明治村(はくぶつかん めいじむら)は、明治時代の建物等を移築・復元し、当時の歴史や文化を今日に伝えようとする野外博物館である。通称「明治村」。愛知県犬山市にある。
第四高等学校(現在の金沢大学)の同窓生だった谷口吉郎(博物館明治村の初代館長)と土川元夫 (当時名古屋鉄道社長、後に同会長となる) の2人は、戦後の急速な経済成長の蔭で失われつつある明治時代の建築物のうち、歴史上にも文化芸術上にも価値があるものを末永く保ちたいとの意見で一致し、そのための財団設立を構想したのが「明治村」の発端である。
価値ある建築物ほど現状(元の場所)のまま保存するのがベストではあるが、1960年代当時は経済発展(新しい街づくり)が最優先された時期でもあり、次善の策として、土地開発の妨げになるなどの理由で保存が難しい(建築物の歴史的価値を認めて貰えない)ものを譲受けて移築し、その修復・保存に努めるための財団法人を1962年(昭和37年)7月16日に設立した。当初の計画では、集客に有利な東京も候補地の一つとなっており、別件で偶々買収した荒川区内の大和毛織工場跡地が当初考えられていた。なお、その土地は東京球場建設候補地となったため約2/3を売却したが、残りは子会社のニュー東京観光自動車(2006年に名鉄グループ離脱)が事業用地として保有を続けた。
1965年(昭和40年)3月18日、名古屋鉄道(名鉄)が用地の寄付をはじめ財政面で全面的に援助(基金拠出)し、博物館明治村は犬山市の入鹿池のほとりにオープンした。尚「明治村」という名称は名古屋鉄道株式会社の登録商標(日本第1823241号他)である。
開村当時の施設は札幌電話交換局、京都聖ヨハネ教会堂、森鴎外・夏目漱石住宅など15件だったが、2007年現在では67件(蒸気機関車等も含む)に達している。博物館の敷地も2倍近くの100万平方メートルに広がっている。 重要文化財の建物が10棟含まれ、それ以外のほとんどの建物も登録有形文化財になっている。
鉄道、郵便、酒造業、病院、裁判所、芝居小屋、学校、教会、灯台など明治の社会、文化の様々な領域を取上げ、当時の建物とその内部の関連の展示で、一望することが出来るようになっている。歴史的に貴重な文化財を保存しているとともに、明治時代を追体験できる一種のテーマパークといえるだろう。鉄道資料は、静態保存だけでなく、旧京都電気鉄道(後に京都市電)の車両や蒸気機関車(名古屋鉄道12号 - 旧鉄道院160形)など、明治の車両を動態保存していることも特筆すべきことである。いずれも館内移動用の乗り物として実際に乗車できる。
なお、全てが明治時代の建物という訳ではない(坐漁荘が1920年(大正9年)、 帝国ホテル(中央玄関)が1923年(大正12年)、川崎銀行本店が1927年(昭和2年)竣工)。
現在、名鉄は経営主体であるが、実際の運営は2003年に設立された同社の子会社(名鉄インプレス)により行われている。名鉄の業績不振から、明治村とリトルワールドの運営の先行きを不安視する向きもある。建物の復元もしばらく中断していたが、阪神・淡路大震災で被災し、解体保存されていた芝川又右衛門邸(旧所在地は西宮市。武田五一設計)の再建が2005年1月からはじめられ、2007年9月に公開された(新規公開は中井酒造以来13年ぶり)。
フランス人建築家レスカスによるものとされる、西郷従道の邸宅の接客用の洋館。明治10年代に建設。 木造二階建て銅板葺。1964年(昭和39年)に西郷山から移築。 内部で展示されている調度品の多くは鹿鳴館や赤坂離宮で使用されたもの。二階のベランダは雨水を流すため若干の傾斜をつけるなどの細やかな工夫が随所に見られる。明治村移築前は国鉄スワローズの選手宿舎として使われ畳を敷いていたという。
宣教師でもあるアメリカ人建築家ガーディナーの建築。日本聖公会京都五条教会として1907年(明治40年)に建てられた。 木造煉瓦造二階建て銅板葺。1964年(昭和39年)に移築。細部はゴシック風である。
フランス人技師レオンス・ヴェルニーらの設計。明治3年点灯。避雷針先端までの高さは約9mである。現存する洋式灯台では日本最古である。1964年(昭和39年)移築。
イギリス人技師リチャード・ヘンリー・ブラントンらの設計。明治6年建設。灯台守の宿舎として使われた。煉瓦造平屋建て。三重県鳥羽市の菅島より1964年(昭和39年)移築。
防火の観点から札幌軟石を用いた石造で建てられた。一階はアーチ窓、二階は楣窓を採用している。二階窓下には花紋が連続している。1898年(明治31年)建設。1965年(昭和40年)移築。
1892年(明治25年)に大阪府池田市に建設された。木造二階建杉皮葺き。歌舞伎や芝居の他、演説会場としても使われ、尾崎行雄、幸徳秋水も演説を行っている。
1879年(明治12年)の建築。設計は清水義八。
東山梨郡役所として1885年(明治18年)に日下部村(現山梨市)に建設された。山梨県初代官選知事藤村紫朗の推進した「藤村式建築」と呼ばれる擬洋風建築のひとつ。木造二階建。正面にベランダを配した左右対称形は当時の官庁建築としては典型的である。
1909年(明治42年)建設。木造平屋建銅板葺。設計は当時の逓信省の技師白石円治である。三重県伊勢市(旧 宇治山田市)の伊勢神宮外宮前に所在した郵便局舎で、外観はハーフティンバーを基調としている。明治時代の木造郵便局舎としては現存する唯一のものである。「博物館明治村簡易郵便局」として営業中。
1901年(明治34年)の建築。
フランク・ロイド・ライトの代表的作品(関東大震災と同年の1923年竣工)として知られ、同ホテルの建て替え構想が発表されると、日・米両国で保存を求める声が高まっていた。記者会見でコメントを求められた佐藤栄作首相により、明治村に再建する案が提示された。1967年にホテルは取壊され、10数年の歳月をかけて、1985年に再建された。玄関部分だけとはいえ、明治村最大の建物である。
三重紡績所(東洋紡の前身の1つ)の四日市工場で使用されていたもので、1893年にイギリスのプラット社から購入したもの。日本の近代産業史上貴重な資料として、1999年に国の重要文化財に指定されている。日本機械学会「日本の工作機械100選」認定。
日本機械学会「日本の工作機械100選」認定。明治12年(1879年)製造。工部省赤羽工作分局で岩手県の船舶修理工場向けに造られた。同分局で製作された機械の中で現存する唯一のものである。この平削盤は岩手県立盛岡工業高等学校の所蔵で、同校から博物館明治村に寄託されている。2001年、国の重要文化財に指定された。
1912年汽車製造製、鉄道院ジハ6006を経て日本国有鉄道キハ6401。客車に蒸気機関を取り込んだもので、1両に機関・客室・乗務員室があり単行で使用できる。前面の扉を開いた状態で展示されているが、運用時は閉めていた。鉄道記念物に指定されている。
なお、2011年開館予定のJR東海博物館(仮称)への移設が決定しており、2009年11月を以て一般公開は終了され、同年12月7日に修復のため運び出された。
愛知県犬山市字内山1