青銅の騎士(せいどうのきし、русский. Медный всадник、英語:The Bronze Horseman)は、ロシアのサンクトペテルブルクにあるピョートル大帝の騎馬像で、同市の観光名所の一つである。
この都市を創建したピョートル大帝の偉業を称えたプーシキン作の叙事詩「青銅の騎士」が有名になったため、この名で呼ばれるようになった。
サンクトペテルブルクのネヴァ川左岸の元老院広場(ソビエト時代に「デカブリスト広場」と称されたが2008年に元来の正当なる名称に戻された)に立つロシア皇帝ピョートル1世(大帝)の騎馬像である。ロシアの作家アレクサンドル・プーシキンがこの騎馬像を題材にた長編叙事詩「青銅の騎士」を1833年に発表し、有名になって、この像自体もこの名で呼ばれるようになった。
騎馬像の建設はエカチェリーナ2世の命により1770年に開始され、おもにフランスの彫刻家エティエンヌ・モーリス・ファルコネ(Étienne Maurice Falconet)によって作られ、1782年に完成した。台座の右側にラテン語で
左側にロシア語で
Петру первому Екатерина вторая лето 1782と彫ってあり、共に日本語で
ピョートル1世へ、エカチェリーナ2世、1782年という意味である。
完成祝いの式典は、1785年に盛大に行われている。
通常の騎馬像と違い、台座も芸術的な役割をしている。台座に使われたのは「雷の石」と呼ばれた巨大な岩石で、フィンランド湾から6キロメートル内陸に入ったところで発見され、大変な苦労をしてこの場所へ移してから、カットされた。
「青銅の騎士」が無事である限りは、サンクトペテルブルクは安泰であるという言い伝えがある。第二次世界大戦中の900日にわたるレニングラード包囲戦(1941年 - 1944年)では、この像は台座ごと木枠と砂袋がかけられていた。この言い伝え通り「青銅の騎士」は無事で、レニングラード(当時のサンクトペテルブルクの名前)もドイツ軍の占領は免れた。