松江城(まつえじょう)は島根県松江市殿町にある城。別名・千鳥城。国の史跡に指定されている。指定管理者制度に則り、NPO法人松江ツーリズム研究会が運営をしている。
日本に12箇所しか現存しない、江戸時代以前建造の天守を有する城郭の一つである(現存天守)。また中国地方の県庁所在地に所在する唯一の現存天守でもある。
松江市街の北部に位置し、南に流れる大橋川を外堀とする輪郭連郭複合式平山城である。本丸を中心に据え、東に中郭、北に北出丸、西に後郭、東から南にかけ外郭、西から南にかけ二の丸が囲んでいる。二の丸の南には一段低く三の丸が配されている。
高さ30メートル、5層6階の天守は桃山様式の天守として築城当時のまま現存しており、国の重要文化財に指定されている。
江戸時代には松江藩の藩庁として、出雲地方の政治経済の中心となった。現在は松江城山公園として観光名所となっている。
宍道湖の眺望が良く日本三大湖城の一つとなっている。また、桜の名所として日本さくら名所100選に選ばれている。
城内には松江市街のミニチュア模型が展示されている。
天主台の石垣を築くことが出来ず、何度も崩れ落ちた。人柱が無ければ工事は完成しないと、工夫らの間から出た。そこで、盆踊りを開催し、その中で最も美しく、もっとも踊りの上手な少女が生け贄にされた。娘は踊りの最中にさらわれ、事情もわからず埋め殺されたという。石垣は見事に出来上がり城も無事落成したが、城主の父子が急死し改易となった。人々は娘の無念のたたりであると恐れた。そのため、天守は荒れて放置された。その後、松平氏の入城まで天守からはすすり泣きが聞こえたという城の伝説が残る。また、城が揺れるとの言い伝えで城では盆踊りをしなかった。(「小泉八雲/人柱にされた娘」など)。
Шаблон:和暦に本丸一ノ門と南多聞の一部が復元され、Шаблон:和暦に三の丸と二の丸を結ぶ廊下門と二の丸下段の北惣門橋が復元された。
二の丸の建造物として、Шаблон:和暦2月に南櫓と塀の一部(40メートル)が、更にШаблон:和暦2月には中櫓・太鼓櫓と塀の一部(87メートル)が、それぞれ復元された。