河川Nishiaraichō

石神井川

6.8/10

石神井川(しゃくじいがわ)は、東京都を流れる一級河川。荒川水系の支流である。流路延長25.2km、流域面積61.6km²<ref name = "Kyogikai1999"> {{ cite book

石神井川
西早宮橋(練馬区早宮)から下流を望む
水系 一級水系 荒川
種別 一級河川
延長 25.2 km
平均流量 -- m³/s
流域面積 61.6 km²
水源 小金井ゴルフ場
(小平市花小金井南町)
河口(合流先) 隅田川
(北区堀船)
流域 東京都
各項目について

石神井川(しゃくじいがわ)は、東京都を流れる一級河川。荒川水系の支流である。流路延長25.2km、流域面積61.6km²<ref name = "Kyogikai1999"> Шаблон:Cite book </ref>。

地理

東京都小平市花小金井南町に源を発し、東京都北部を東へ流れて北区堀船三丁目で隅田川に合流する。東京都小平市、西東京市、練馬区、板橋区、北区の各自治体を経る。

小平市花小金井南町の小金井カントリー倶楽部西側付近に源を発している。かつての源流はさらに西に遡っていた (後述)。同ゴルフ場内を大部分暗渠で流れ、嘉悦大学の南側で開渠の川になる。同大裏門から小金井公園通りまで蓋がけされた後、小金井公園沿いは柵渠となる。西東京市の南を流れ、練馬区に入る。西東京市では、調整池が芝久保、向台、南町に設けられていて、増水時に川の水を貯留する<ref name = "Kyogikai2006"> Шаблон:Cite book </ref>。小平市・西東京市に含まれる上流部は湧水のみによって涵養される小河川であり、流量は少ない。

練馬区に入ると、武蔵関公園の富士見池、石神井公園の三宝寺池、豊島園池などの湧水や河床からの湧水を合わせ、流量を増してくる。現在、富士見池や三宝寺池は湧水が減少し、地下水の揚水などによって池の水が維持されている。三宝寺池と石神井池は石神井川に接続していないが、富士見池はわずかな溢水が石神井川に流入している。富士見池は調整池の役割も果たしている。

城北中央公園で板橋区に入り、桜川一丁目で田柄川を合わせて、川越街道、東武東上線、中山道を横断し、JR埼京線を潜って北区に入る。その後、王子駅の下を抜けて北区船堀三丁目で隅田川に注ぐ。石神井川は金沢橋付近 (埼京線の上流約200 m) から音無橋にかけて音無渓谷と呼ばれる深い谷となっていた。現在、渓谷部分はほとんどがコンクリートの垂直護岸となっていて、屈曲部の直線化や飛鳥山隧道建設などの改修によって流路も大きく変わっている。直線化の結果残った旧流路の一部は、氷川町つりぼり公園、音無もみじ緑地、音無さくら緑地などとして整備されている。

変遷

上流域(小平市、小金井市、西東京市)

水源

現在は小平市花小金井南町にある小金井カントリー倶楽部敷地内の湧水を水源とし、一級河川起点は「小平市花小金井南町三丁目2番地先」である。かつてはさらに西に遡り、小平市鈴木町一丁目の鈴木小学校敷地に水源があった。現在でも、川を埋めた跡や地形からそれらが偲ばれる。途中でゴルフ場「小金井カントリークラブ」の中を通るが、ゴルフ場の一部において川が地上に露出していた。しかし、2000年代初頭頃に埋め立てられた[要出典]

関の溜井

かつて中流域には関の溜井と呼ばれる池があった。この池は現在残っていないが、武蔵関公園内にある富士見池がほぼ同じ位置に存在する。

中流域(練馬区)

石神井池

石神井川の本流が大川になった後、三宝寺川は流路途中で堰き止められて石神井池を形成[要出典]、この二つの池を中心とした風致地区、石神井公園が整備される。現在、二つの池の水は浄化の上で循環しており[要出典]、普段は石神井川へ接続されていない。

千川上水への揚水

かつて、千川上水の水不足対策として、西早宮橋付近で揚水し、豊島園通りの下を通り、練馬駅大踏切(当時)西側を通り、千川上水に揚水弁を設け流入させていた。水路は、1942年-1943年ころに暗渠となった。

下流域(板橋区、北区)

谷端川放水路

谷端川は神田川の支流である。1925年、洪水対策のため下板橋付近に石神井川への放水路が開削された。

谷田川の切り離し・流路変更

江戸時代以前[要出典]の石神井川は、上野の不忍池へと流れ、さらにそこから東京湾へと繋がっていた。しかし、流路変更により現在の形になった。流路変更の時代については諸説ある。

  • 縄文末期

縄文末期の気候異常による洪水で、隅田川への越流が発生したとする自然由来説。

  • 室町時代

流域の地方豪族、豊島氏が領内の治水、利水の為に開削したとする人為的由来説。

  • 江戸時代

江戸の街づくりの一環として、治水対策で開削されたという人為的由来説[要出典]

飛鳥山バイパス

王子駅付近は飛鳥山(上野台地)にぶつかるような形になっているため、1958年の狩野川台風では、洪水が発生し、王子駅の改札口が冠水するなど北区だけで5000世帯が被害にあった。そこで、1966年から1968年にかけて飛鳥山の下をトンネルで通す飛鳥山バイパスが建設された<ref name = "Tamori">タモリ倶楽部「石神井川と石神井川の跡を歩く」(テレビ朝日系列)・2008年11月14日放送分</ref>。旧流路は、音無親水公園となり、現在は汲み上げた地下水が流されている。

谷田川(藍染川)

石神井川のかつての本流で不忍池を経由して東京湾に流れていた部分。石神井川が切り離された後は上野台と本郷台の湧水による小河川が流路跡に流れる。現在は全て暗渠化されている。付近は藍染めが盛んであった事から、藍染川とも呼称されていた。

石神井川下流の流路変遷

石神井川は武蔵野台地東端の北区王子付近で渓谷 (音無渓谷) を作り、いくつもの滝を落としていた。これは埋没谷上の沖積低地をゆったり流れることの多い、武蔵野台地の川の流れ方としては例外的である。武蔵野台地を流れる川で渓谷を持っているのは、他に谷沢川 (等々力渓谷) と神田川 (お茶の水渓谷) のみである。同時に、上流から王子付近まで続く石神井川の谷底低地は飛鳥山の手前で南へ向きを変え、本郷台と上野台の間の谷田川が流れる谷底低地へと地形的に連続している。これらのことから、石神井川がかつては谷田川へと流路を取っていたが、河川争奪によって現在のように隅田川へ流れるようになったとする説が、戦前は地形学者の東木龍七、戦後は地形学者の貝塚爽平などによって唱えられていた<ref> Шаблон:Cite book </ref>。流路変遷が起こった原因と時期については諸説ある。

縄文時代の河川争奪説

1976年、東京都土木技術研究所の中山俊雄らはボーリング調査による石神井川と谷田川沿いの地質断面図を作成し、石神井川の流路変遷を論じた<ref> Шаблон:Cite journal </ref>。彼らは、谷田川から不忍池を経て昭和通りにいたる地下に基底が-20 mに達する埋没谷が存在すること、石神井川下流の王子から隅田川合流までの地下に埋没谷が存在しないこと、流域の小さい谷田川のみで昭和通り谷が形成されたとは考えがたいことを指摘。昭和通り谷の形成時期に谷田川がその上流で石神井川でつながっており、これが石神井川の本流であったと結論づけた。また、立川ローム層を鍵層とした江古田層との対比より、石神井川の王子より上流の河谷底に堆積する泥炭層をサブボレアル期 (4500-2500年前) のものとし、音無渓谷がこの泥炭層を開析しているように見えることから、渓谷の形成時期をサブボレアル期以後とした。

1994年、北区教育委員会の中野守久らは石神井川の流路変遷時期を特定するため、現・石神井川から離れてすぐの谷田川の谷底低地にてボーリング調査を行い、その結果を発表した<ref> Шаблон:Cite journal </ref>。彼らは山手層 (本郷層) の上位に泥炭質粘土からなる沖積層を発見し滝野川泥炭層と命名、14C年代測定によって約7400年前から約1000年前までに堆積したものと分かった。中野らは滝野川泥炭層は石神井川下流部が現在の流路をとるようになってから、旧河床が沼沢地となった環境で形成されたと考えた。また、石神井川が本郷台東端で縄文海進 (6500-5500年前) に形成された埋没上位波食台 (中里遺跡発掘の際に発見された) を侵食していないことなどから、縄文海進最盛期より後に河川争奪が起こったと推定した。これらのことから、石神井川は縄文海進最盛期に本郷台の崖端侵食に起因した河川争奪を起こし、流路を奪われた谷田川上流部では沼沢地となり滝野川泥炭層が堆積し、王子方向へと流出した新河流は河床を深く掘り込んで峡谷を作った、と結論づけた。

北区飛鳥山博物館では中野らの研究成果にもとづき、縄文時代の河川争奪説の解説が展示されている<ref> Шаблон:Cite book </ref>。

中世以降の人為掘削説

歴史研究家の鈴木理生は1978年の自著において、石神井川が現在の石神井川と谷田川に分断されたのは人為的な工事の結果であると主張した<ref> Шаблон:Cite book </ref>。鈴木は飛鳥山付近の台地が東から広義の利根川、西から石神井川の浸蝕を受けて人為的に短絡しやすい地形であったこと、「滝野川」という地名が登場するのは13世紀後半に成立した『源平盛衰記』以後のことで、正史の『吾妻鏡』には見られないことなどから、この間に人為的な掘削があったと推論した。この工事は、豊島氏による下町低地への灌漑水路の開発、または矢野氏による洪水防止の工事であったと鈴木は推定した。

後の2003年、鈴木は大著『江戸・東京の川と水辺の事典』の中で、上述の中野らによる自然現象説を紹介するとともに、再び人為変更説を主張した<ref> Шаблон:Cite book </ref>。まず鈴木は『源平盛衰記』に「滝野河」の名前があるのは、この時期にすでに滝のような水流で渓谷ができていたと解釈できるとして、この時期の工事説は述べなかった。代わりに、江戸時代に刊行された多くの地誌で不忍池とお玉が池の説明ぶりが不自然である点、軍用道路であった岩槻道 (現在の本郷通り) は石神井川をまたぐより台地の縁沿いに通るほうが自然である点を指摘し、江戸氏・太田道灌・後北条氏あるいは徳川氏初期に江戸湊の洪水を防ぐために瀬替えしたと主張した。

タモリ倶楽部

2008年11月14日放送のテレビ番組『タモリ倶楽部』では、石神井川の流路変遷について取り上げられた。番組の中で漫画家の江川達也は、石神井川が上野台地を貫いて東へ流れているのは、江戸時代の治水工事によるものと主張。それに対し、出版社之潮社長の芳賀啓は『寛永江戸全図』<ref>寛永江戸全図</ref>を示して江戸時代初期にはすでに現在の流路をとっていたと分かっていると反論。また石神井川下流へ人工的に流したとすると直線的に隅田川に流れるはずだとする説を唱えた。

主な支流

  • 貫井川
  • 田柄川
  • エンガ堀

環境

第二次世界大戦終戦直後は、田園を流れる小川にすぎなかったが、宅地化に伴い汚染が進み1970年代(昭和50年前後)にはドブ川と化した。その後、流域の下水道普及率が進み、水質は改善され、晴天時であれば、水質はかなり良好で透明度は高いレベルにある。しかし、豪雨時などには下水が排出されるため、水質は一時的に悪化する。

一時間あたり75mmまでの大雨に耐えるための拡幅工事が進んでおり、川沿いに存在する「桜の辻」と呼ばれる桜の名所が失われる可能性がある。

魚はコイ、アブラハヤ、モツゴなどが生息し、甲殻類はモクズガニやアメリカザリガニが生息する。北区王子付近の流路変更に伴い、魚が遡上できないため、アユなどは確認されていない。

2009年(平成21年)3月2日には、JR王子駅構内のトイレの汚水が下水道工事の不備により40年以上にわたって川に垂れ流しされており、川から発生する悪臭の一因となっていたことが判明した<ref>「川の悪臭ひどい」調べてみれば…駅のトイレから汚物流入 読売新聞</ref>。

名称

ごく最近まで石神井川の本流は三宝寺池から流れ出す川とされ、小金井からの流れは大川と呼ばれる支流であった[要出典]。しかし、徐々に流域の都市化が進行し三宝寺池の湧水が減ると、池から合流点(山下橋)までの流れは三宝寺川と呼ばれるようになり、大川が石神井川本流となる[要出典]

石神井川の名称は、石神井村を貫流する川だったために村の名前にちなんで呼ばれたと言われている。石神井村の名前は、村内に昔からあった「石神」(石棒を神体として祭ったもの)に由来し、この「石神」は三宝寺池から出たとも、井を掘っていたら土中から出たとも伝えられる。

石神井川は、小平市・西東京市では「悪水」、西東京市・練馬区の一部では「大川」、練馬区・板橋区では「石神井川」、北区で「音無川」「王子川」「滝野川」と呼ばれていた。「滝野川」という別称は北区滝野川の地名にも残っており、近藤勇の墓所があることで知られる。かつてこの地域の石神井川が「滝の様に勢いよく川の流れが激しかった」ことに由来する。

橋梁

  • 番場橋
  • 板橋
  • 加賀橋
  • 金沢橋
  • 御成橋
  • 緑橋
  • 観音橋
  • 紅葉橋
  • 松橋
  • 滝野川橋
  • 新板橋
  • 中根橋
  • 学校橋
  • 下頭橋
  • 小山橋
  • 栗原橋
  • 羽根沢橋
  • 正久保橋
  • 新大橋(東京都道442号北町豊玉線)
  • 大橋
  • 東中央橋
  • 西早宮橋
  • 中之橋
  • 練馬大橋(東京都道8号千代田練馬田無線目白通り)
  • (西武池袋線)
  • 長光寺橋(東京都道443号南田中町旭町線笹目通り)
  • 山下橋
  • めがね橋

出典・注釈

関連項目

  • 石神井用水
  • 千川上水

外部リンク



en:Shakujii River

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ヒントとヒント
二背 たんてい
2017年4月11日
桜は見応えありだが、
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0.7km from 日本, 東京都 首都高速中央環状線

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