青山霊園(あおやまれいえん)は、東京都港区南青山二丁目にある東京都立の霊園である。
1872年(明治5年)、美濃郡上藩(現在の岐阜県郡上市)の藩主・青山家の下屋敷跡に開設された。当初は神葬祭墓地であった。1874年(明治7年)9月1日、市民のための公共墓地となった。1889年(明治22年)、東京府から東京市に移管された。1926年(大正15年)、斎場の建物のすべてが東京市に寄附され、日本で初めての公営墓地となった。
現在は東京都の所管である。面積は約26万平方メートルで、会津藩出身の桐生氏が開いた現在の附属立山墓地が興りとされ、隣接してのちの青山霊園への造成へとつながっていった。その後桐生氏は当時の東京府に土地所有権を無償で供与し代々立山墓地の管理に携わってきたが、東京都により2008年3月いっぱいで管理の更新を断られた。都による墓所使用料未払いによる無縁仏への墳墓改装、それに伴う公園型霊園開発を理由とした、2000年代以降の霊園内外都有地の段階的な賃貸料増額も相まって管理の更新を断られ、先祖開拓以来の土地を離れることとなった。なお、霊園内外人墓地に関しては無縁仏として改装されず、貸付対象箇所にはならないことになった。
霊園は、桜並木が名所であり、明治維新の功労者や文学者・科学者・芸術家・政治家等の著名人墓所が数多くある。維新の三傑である大久保利通、細井和喜蔵の『女工哀史』の印税で建てられた「解放運動無名戦士墓」も存在、忠犬ハチ公の墓もある。附属立山墓地には、永田鉄山、木村兵太郎、相楽総三なども眠っている。
いずれも合葬
“東京都公園協会 今月のお知らせ (2018年10月)”. ________. 2018年10月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年10月30日閲覧。