聖母大聖堂(せいぼだいせいどう)は、ベルギーのアントウェルペン(英語: アントワープ、フランス語: アンヴェルス)にある、ローマ・カトリック教会の教会(司教座聖堂)。
アントウェルペンを含む現在のベルギー北部(フランデレン地域)は、フラマン語(オランダ語系)圏である。しかしながら、歴史的にフランス語が公用語として用いられた経緯(言語戦争#ベルギーの例)から、「ノートルダム大聖堂」が用いられることも多い。そのため、日本語文献でも「聖母(マリア)大聖堂」「ノートルダム大聖堂」あるいは地名を冠して「アントワープ(の)大聖堂」等の表記の揺れがある。
本項目では、フランダース政府観光局が日本語訳の「聖母大聖堂」を採用していることから、以下「聖母大聖堂」表記を原則として記述する。
各言語での表記は以下の通りで、いずれも「我らが貴婦人の聖堂」すなわち聖母マリアに献堂されたことを意味する。
世界遺産:ベルギーとフランスの鐘楼群を構成する建築物のひとつ。アントウェルペン市内では、市庁舎とともに登録されている。
ピーテル・パウル・ルーベンスによる『降架』を題材にした三連祭壇画で知られる。さらに日本では、同名小説を原作としたアニメーション作品『フランダースの犬』により、主人公の少年が観賞を熱望した絵画及び教会として有名になった。
12世紀の聖堂を前身とし、1352年にゴシック様式で建設が開始された。ジャン・アッペルマンとペーター・アッペルマン父子により、徐々に建設が進んだ後、1472年から1500年にかけヘルマン・デ・ワーゲマーケレの設計により二つの側廊が完成した。ヘルマンの息子ドミーンが、アントウェルペンの経済発展を背景に、建築を一挙に進めた。
1518年に完成した尖塔(北塔)は123mあり、ブルッヘの聖母教会の122mを超え、ネーデルラント(低地地方)における最も高い建築物となった。1521年に、南塔を除き、完成した。神聖ローマ皇帝カール5世(ブルゴーニュ公位を継承、兼スペイン王)は、1521年に尖塔を見て「一つの王国に値する」と称賛した。アントウェルペンの発展を象徴する建築物として、絵画の背景にも描かれた。
1533年に火災により被害を受けた。1559年にアントウェルペン司教区の設立により、司教座聖堂となる。しかし、1566年にはゴイセン(ネーデルラント17州におけるカルヴァン派)の聖像破壊運動により、美術品が破壊された。
17世紀初頭、ピーテル・パウル・ルーベンスがアントウェルペンに戻ると、アルブレヒト大公とイザベラ大公妃の宮廷画家となり、多数の祭壇画を制作した。本聖堂に納められた『キリストの昇架』、そして『キリストの降架』や『聖母被昇天』がこの時期の作品である。
1801年のコンコルダートにより、司教区が再編され、司教座を失った。1961年に、アントウェルペン司教区が再設立されたことを受け、再び司教座聖堂となった。
1872年に、英国出身の女性作家ウィーダが『フランダースの犬』を出版した。作中には、本聖堂とルーベンス作品がモチーフとして登場する。2003年になって、聖堂前に記念碑が立てられ、さらに2017年に新たな記念碑が建立されている(フランダースの犬の項を参照)。
以下のルーベンス作品の他、美術家ヤン・ファーブルによる彫刻作品『十字架をもつ男』なども置かれている。