モルスキェ・オコ("海の瞳"、英: Sea Eye, Eye of the Sea; 波: Morskie oko; 洪: Halas-tó: "魚の湖")は、タトラ山脈にある最大かつ4番目の深さを持つ湖。ポーランドの小ポーランド地方、ミェングショヴィエツキ山頂群(英語版)の基盤となるハイタトラス山脈(英語版)のルビ・ポトク("魚の小川"、英: Fish Brook; 波: Rybi Potok)の谷あいにあるタトリ国立公園(英語版)の奥深くに位置する。
モルスキェ・オコは、その湖面から高さ1,000mを超える山々に取り囲まれており、その中でもリスィ山(標高2,499m)はポーランド内のタトラ山脈の中で最も標高が高い。ミェングショヴィエツキ大山頂(英語版)(標高2,438m)のあるミェングショヴィエツキ山頂群(英語版)の付近、やや左に離れて独特の細長い形状のムニフ山(英語版)("僧侶"、波: Mnich、標高2,068m)がそびえている。また湖の周りには多くのヨーロッパハイマツが生育している。
モルスキェ・オコはタトラ山脈の湖や池においては珍しく多くの魚が棲息していたことから「ルビェ・イェジョロ」("魚の湖"、波: Rybie Jezioro)と過去に呼ばれていた。湖水は深くまで透き通っているため、泳ぐマス—いわゆる「飢饉のマス」(後述) —を容易に見つけることができる。モルスキェ・オコ("海の瞳")という呼び名は、湖とアドリア海とが地下道で繋がっているという古い伝説に由来する。
彼らはモルスキェ・オコへとやってきた。リスィ山のほど近く、多くのマスが棲むことから「海の瞳」と呼ばれる光り輝く山あいの湖である。高山の湖に魚が棲むことは珍しく、飢饉の間にはそのマスによって飢えを凌ぐことができたので、人々は「飢饉のマス」と呼んで重宝していた。
— J. Victor Tomaszek、The Tatra Eagle (Tatrzański Orzeł) p.8
ポーランド観光協会(PTTK(英語版))の施設は湖を北から押しとどめる氷堆石の上に建っている。施設は海抜1,405mに位置し、最も古いタトラ・シャレー(英語版)(アルプス地方特有の大きな屋根の突き出た住居)のひとつに数えられる。この建造物は1805年に湖を探索したスタニスワフ・スタシッツ(英語版)にちなんで命名されており、リスィ山やシピグラソヴァ・ルートへの登山口となっている。付近には元々キャリッジハウス(英語版)(馬車の荷や馬具用の納屋)であったスタレ・スロニスコ("古いシェルター"、波: Stare Schronisko)があり、双方とも歴史的価値のある建造物と見なされている。
この湖はタトラ山脈の中で最も人気の高い名勝地のひとつで、バカンスシーズンには5万人を超える観光客が訪れる。車両の通れる最寄りの道路からはおよそ徒歩2時間程度。または地元のグラル人住民がその多くを操る馬車も多くの観光客が利用するアクセス方法である。冬には道中のある短区間において雪崩の危険性があり、そのエリアは夏でも気温が低く多雨である。観光人気の高まりにより、湖での遊泳およびマスの餌やりは禁止されている。
モルスキェ・オコの文献への登場は1575年までさかのぼる。
モルスキェ・オコの魅力はヴァレリー・エリャシュ=ラジコフスキ(英語版)、レオン・ヴィチュウコフスキ(英語版)、スタニスワフ・ガウェクなどの画家、ヴィンツェントゥ・ポル(英語版)、アダム・アスニク(英語版)、カジミエズ・ジェルファ=テトマイェル(英語版)、フランチシェク・ノヴィツキ(英語版)、ヤン・カスプロヴィチ(英語版)などの詩人、また作曲家のジグムント・ノスコフスキなど、多くのアーティストたちにインスピレーションを与えてきた。
また、ミュージシャンのセヴダリーザ(英語版)による2015年制作のショートフィルム『The Formula』の撮影地のひとつである。