多摩テック(たまテック、Tama Tech)は、東京都日野市にあったモータースポーツをテーマにした遊園地および温泉施設である。本田技研工業株式会社子会社の株式会社モビリティランド(旧ホンダランド→(株)鈴鹿サーキット)が経営。
1961年に本田技研工業系列のモータースポーツセンターとしてオープン。初代所長は、当時ロードレース世界選手権(WGP)の250ccクラスで日本人として初優勝を遂げたばかりの高橋国光。その後、運営会社は鈴鹿サーキットの運営も行うようになった。
当初は「オートゲレンデ」と称してオートバイ愛好者向けに本格的なモトクロスコースを含むバイク用のダートコースを設置し、様々なタイムトライアルなどが可能な施設という位置づけであった。しかし、この構想が明らかになると、当時社会問題になっていたカミナリ族向けの施設であるとして「カミナリランド」といった形で批判的な報道がなされ、警視庁交通部が「カミナリ族の養成所みたいなものだと思うが、事故でも起こったらどうするのかが心配だ」という理由から「非常に好ましくない計画」として「近く申し入れをする」とも報じられた。これに対して運営会社側は「オートバイ・ファンに正しい技術をくんでもらおうというもので、指導もしっかりやる。ただ取り締まりを叫ぶだけでは彼らの気持ちを満たすことはできない」と述べている。開園後の1962年9月16日に、来園者の男性の乗ったオートバイが転倒して死亡する事故が起きた際には「「カミナリ天国」初の死者」という見出しで報じられた。
その後、ホンダエンジンを搭載したゴーカートやミニバイクが遊具として設置される。このうちミニオートバイは好評を博し、これをベースとした「ホンダ・モンキー」が商品化された。1965年頃からは「自動車遊園地」という名前で広告が出されるようになり、当初のバイク主体のスポーツ施設から次第にファミリー向けの遊園地へと移行することになった。
1970年代に入ると、「タイヤカー(1980年に「UFO」へ換装)」「外輪船」「カナディアンジェットライダー」「観覧車」といったアトラクションが設置され、よみうりランド・西武園の中間に位置する多摩地域の「遊園地」へと変貌した。また、手塚治虫作によるキャラクターコチラファミリーも1979年に登場している。
1980年代にはモノレール型アトラクションの「スーパージェットライダー」や劇場型アトラクション「マッハセブン」が新設されると共に、「トライアルパーク」・ゴーカート「ザ・カートG400」「ロックガーデンプール」のオープンなど、本格的な開発も行われた。
1991年には懸垂式モノレール型アトラクションの「ガリオン」、1995年には大型水車がライドごとを持ち上げるギミックで国内最大級の水上型絶叫マシンを謳った「ワイルドリバーアドベンチャー」と大観覧車「トップキャビン」、1997年には「スペースショット(インタミン製。浅草花やしき・よみうりランド設置機と同系統)」と、大規模なアトラクションが新設された。また、子供向けのゴーカート「フォーミュラGP」や、本格的なバッテリーカー「電気自動車MUU(ムウ)」もカート系アトラクションを入れ替わらせる形で設置されている。
長らく遊園地だけの施設であったが、1995年に園内のキャンプ場を掘削専門業者が掘削したところ温泉が湧出したため、1997年から温泉施設「クア・ガーデン」がオープンした(鈴鹿サーキットにおいても同名称で1994年に開業している)。
開業に当たっては多摩地域随一の湯量を誇るリゾート型のクア施設として、露天風呂・サウナ・飲食施設・休憩所に加えてフィットネススタジオや水着着用の温水プール(25m×4コース、子供用プール、ジャグジーなど。追加料金750円が必要)も設置し、水泳などの運動も可能であった。
周囲に超高層ビルが存在しないため、内風呂からは日野・立川、2階レストランからは八王子駅方面の眺望が見渡せる。2003年に東京ドームによるラクーアと、としまえんによる庭の湯が開業するまで、関東での天然温泉併設型のテーマパークは当地が唯一であった。
「クア・ガーデン」は、モートピアの高台側(でんでん虫II・旧UFOアトラクションホーム寄り)に所在し、モートピア開園中は連絡口で往来が可能であった。しかし、モートピアの正面ゲートは丘陵の中腹にあり、モートピアに入園しない場合は、一旦坂を下り都道155号線を左折して、「多摩テック・温泉入口」バス停を過ぎた信号機のある交差点を左折して坂を上る必要がある。そのため、1時間に2・3本程度、モートピアとクア・ガーデンの正面玄関間および多摩動物公園駅(18時以降は高幡不動駅)を結ぶ無料送迎バスを京王自動車(専用マイクロバス)、南大沢京王バス(路線バス車両)によって運行されていた。
ユニバーサルスタジオジャパン、東京ディズニーシーという大規模なテーマパークが開業し、日本各地の遊園地の入園者数が減少しつつあった2001年に「マッハセブン」を「4-Dモーションシアター」に改装する形でオープン。2002年から2004年にかけては「キッズドライブ」「キッズバイク」など子供向けのゴーカート系アトラクションを、「外輪船」などを廃止させて跡地に設置する形でオープンさせた。しかしながら、園内随一の絶叫マシンである「ワイルドリバーアドベンチャー」が2004年春頃に僅か9年で終了し、「UFO」・「カナディアンジェットライダー」も程なくして運行終了となり、れっきとした絶叫マシンは「スペースショット」のみとなる。
2006年に「ACRO(アクロ)-X」、2007年に「ドリームX」と新型のゴーカートアトラクションを導入。カード系アトラクションの充実を図り、施設名称通りの『モートピア(モーターのユートピア)』への回帰と再興を図る趣きも見られたが、どちらも幼児・小児の家族連れ向きのアトラクションであり、テーマパークの客層である若年層(中高生以上)やカップルの多摩テック離れが進んだ。
1990年代以降は一般に向けた割引券の頒布に加え、朝日メイト(朝日新聞友の会)・読売ファミリーサークル(読売新聞)・UFJカード会員・ホンダ車ディーラー得意客などに向けた招待デーを設け、廉価でフリーパスを販売するなどして集客を図っていた時期もあったが、実際には1999年以降、営業利益を出せずに経常損失ばかり計上していた。
2002年に入場者が100万人を超えたのをピークにその後は減少を続けたことや、2007年から2008年にかけて発生した世界金融危機の影響による不況が大きかったことから、モビリティランドの親会社・本田技研工業が経営見直しの一環により不採算事業から撤退することを2009年2月に発表。2009年9月30日(モートピアは19時)を以って営業を終了し、閉鎖となった。
閉園を前に、同年の春休み・ゴールデンウィーク・夏休み・シルバーウィークと9月最終週は、別れを惜しむ来場客が大勢詰め掛けたため、人気アトラクションは3時間待ち状態で大変混雑していた。
多摩テックとしての最終営業は「クア・ガーデン」であり、特別編成のロビーコンサート(招致している音楽家や従業員による生演奏・歌唱)を昼間から閉館まで立て続けに実施し、通常通り22時を以って閉館した。但し、来館者数が多く、送迎バスの最終便はクア・ガーデンとモートピアで数十人の利用客を取りこぼす事態となったため、臨時便が数本増発された。
なお、閉園後の跡地利用方法に関しては現時点では未定であるが観覧車などの解体作業が行われており多摩テックの裏を通る七生丘陵散策西コースが通行止めになっている。
所在地:東京都日野市程久保5-22-1。
よみうりランドと同様、丘陵地を開発し、中腹に位地するゆうえん地「モートピア」は所どころ勾配がやや急な坂(斜面)が有り、その勾配の斜面や高低差を軌道に生かしたライド型アトラクション(UFO・ガリオン・外輪船など)も置かれた。高台にはクア・ガーデン、駐車場、キャンプ場などが置かれている。
テレビドラマやテレビ映画などの撮影地としても多摩テックがよく使われていた。例を挙げるとTBSの特撮テレビ映画『ウルトラQ』の「2020年の挑戦」、フジテレビの『花嫁とパパ』やテレビ朝日の金曜ナイトドラマ『雨と夢のあとに』最終話などに、多摩テックでのロケーション撮影シーンが登場した。
「モビリティランド」も参照
マスコットキャラクターである「コチラ」は、多摩テックと鈴鹿サーキットのオリジナルキャラクターとして1979年に誕生。
キャラクターデザインは手塚治虫によるもので、他にもコチラの仲間として「チララ」、「ピピラ」、「バット」、「プート」等のキャラクターがおり、「コチラファミリー」と称している。キャラクターの版権は手塚プロダクションが保有している。なお、2006年にツインリンクもてぎを経営統合させてモビリティランドを発足してからは、茂木においてもコチラファミリーが登場し、とちぎテレビの朝番組「朝生とちぎ」内の1コーナー『コチラdeダンス』において、とちぎテレビのマスコットキャラクター「てれすけ(やなせたかし作)」とタッグを組んで活躍している。なお同局はTOKYO MX、首都圏トライアングル各局とは異なり、東京での直接受信は微弱電波で困難であり、CATVによる域外再送信もほぼ行われていないため、栃木県内のご当地キャラクターになりつつある。
同様のホンダの遊園地には、かつては奈良県生駒市に「生駒テック」、埼玉県朝霞市に「朝霞テック」があり、いずれも多摩テックとほぼ同時期に建設された。生駒テックは1965年3月、朝霞テックは1973年に閉鎖され、生駒テック跡地は生駒山麓公園、朝霞テック跡地は本田技術研究所朝霞研究所となっている。多摩テック開業当初には佐賀、高松、広島、名古屋、仙台など日本全国60ヶ所に同様の施設の建設が計画されていた。
なお、同じ「テック」という名前の施設ではあるが「与那原テック」(1980年代に閉園)は関係がない(東陽バス経営)。
また、IT関係や人材派遣業で使われるシーテックとも関係は無い。