国立アメリカ空軍博物館(こくりつアメリカくうぐんはくぶつかん、en-short. National Museum of the United States Air Force)は、アメリカ空軍の公式なアメリカ合衆国立博物館である。かつてはアメリカ空軍博物館(United States Air Force Museum)と呼ばれていた。オハイオ州デイトンの真東、リバーサイドのライト・パターソン空軍基地にある。400以上の航空機及びミサイルを展示しており、そのほとんどが屋内に展示されている。入場は無料である。
ボックスカーと、ファットマンの複製]] SAM 26000]] 国立アメリカ空軍博物館は、第二次世界大戦で2回目の原子爆弾投下に用いられたB-29 スーパーフォートレスであるボックスカー(長崎に原爆を投下した実機)、ただ1機現存するXB-70 バルキリー、4機現存するB-36のうちの1機、アポロ15号のコマンドモジュールをはじめとする数多くの歴史的・航空技術的に貴重な航空機、宇宙機及びその関連品を所蔵・展示している。一般的に有名なスミソニアン博物館の国立航空宇宙博物館よりも展示スペースが広く展示物との距離が近い。来場者の手に届くところに実機がある(もちろん展示物が傷むので触れるのは禁止)。展示飛行機のうち、かなりの数は隣接の滑走路へ飛んできて展示エリアで眠りについたものである。
以前には野外展示だった大型機も格納庫の拡張により屋内に移されている。夏休みには家族連れや学校の団体で混雑するがその他の時期にはじっくりと実機の細部を観察でき、博識なボランティア学芸員と話をすることができる。殆どの来場者は自家用車でのアクセスである。床が固く面積が広大なのに休憩箇所が少ないのでハイキング用の脚固めが望まれる。非常に広いため、事前に見たい展示が決まっていなくて2時間程度の短時間で見学する場合は最初に一番奥のミサイル・スペース・ギャラリーまで行ってしまい、帰路に展示を見ながら入り口へ戻ってくる歩き方もよい(場内地図)。
フランクリン・D・ルーズベルト、ハリー・S・トルーマン、ドワイト・D・アイゼンハワーが使用したいくつかのアメリカ合衆国大統領専用機を所蔵する。大統領専用機コレクションの中心は、初めてエアフォースワンと呼ばれた機体であるVC-137C(コールサイン「SAM 26000」・ボーイング707の改造機)である。この機体はジョン・F・ケネディ大統領からリチャード・ニクソン大統領まで使用され、後に予備の大統領専用機として運用された。この機体を最も使用したのはリンドン・B・ジョンソン大統領である。
この展示区画は空を飛んだ先駆者たち、特に世界初の空港となったハフマンプレイリーを拠点に試験飛行を実施したライト兄弟を軸とする大きなエリアである。1909ミリタリー・フライヤーの複製がライト兄弟のその他の遺品とともに展示されている。このエリアは教育的な展示が置かれるとともにアメリカ航空史の栄誉の殿堂も兼ねている。
博物館は、その所蔵品の中にアメリカ陸軍航空隊及びアメリカ空軍の被服及び制服の膨大な目録を持っている。第二次世界大戦期の由緒あるA-2レザー・フライング・ジャケットが常に50着以上展示され、その多くはアメリカ空軍史に残る人物が所有していた。それ以外のものは、それらの元の所有者と彼らと空を飛んだ飛行機とその任務を表現するために、美しく描かれている。博物館の展示には、ジミー・スチュアート大佐が着用していたジャケット、P-38のエース・パイロットであるリチャード・I・ボングのB-3シープスキン・ジャケットとブーツ、真珠湾攻撃の間に飛び立った数少ない陸軍航空隊パイロットの1人が着ていたA-2ジャケット、ロナルド・レーガン大統領のPコートなどが含まれている。
コマンドモジュール「エンデバー」]] 第3格納庫とミサイル・ホールの建設が2004年に完了し、第3格納庫には現在、B-2 スピリットステルス爆撃機、F-117 ナイトホークステルス攻撃機のような冷戦時代の航空機が収容されている。宇宙関連展示、大統領専用機及びより大型化した教育福祉区域を収容する第4格納庫を新設するためと、市民の利便性を高めるための改修を行うための予算の調達が始まっている。
博物館は、主に航空宇宙を取り上げるIMAXフィルムを特徴とするIMAXシアターがあるが、これらの映画は有料である。
国立アメリカ空軍博物館は、所有する展示品以外の航空機をアメリカ合衆国内の別の航空博物館に貸し出している。これらの貸与航空機のほとんどは、当博物館で展示されている航空機と機種が重複しているものである。博物館のスタッフは、貸与された財産の保存と復元の質における高い水準を要求しており、国立アメリカ空軍博物館から航空機を貸与されている博物館が航空機を保存するのに十分な資質を持たないと考えられる場合には、これらの貸与を打ち切ることがある。これは過去に、映画の題材にもなったB-17爆撃機、メンフィス・ベルで実際に起こった出来事である。
国立アメリカ空軍博物館の歴史は、デイトンのマコック・フィールドの技術部が最初に技術遺産を収集した1923年にさかのぼる。それらは、1927年にライト・フィールドに移転され、一連の建物に収容された。1954年にかつてフェアボーンの元パターソン・フィールドにあったエンジン・オーバーホール・ハンガーであった89号棟に収容され、これがアメリカ空軍博物館としての最初の永続的な施設となった。博物館の多くの航空機は、屋外に駐機され、風雨にさらされていたが、1971年に現在の施設が最初に開館するまでそのままであった。本来のライト・フィールド固有の別館を含めず、博物館の区画の一辺の長さは1971年の設立から3倍以上になった。
次に国立アメリカ空軍博物館の展示品の一部を示す。この他にも多数の航空機、ミサイル、その他の兵器、歴史的な品々が展示されている。なお、特に注がない場合は、アメリカ合衆国で開発されたものである。 ]]
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)。2005年12月。]]
とF-94A スターファイア]]
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