マドリード王宮 (Palacio Real de Madrid)は、スペイン・マドリードにある宮殿。オリエンテ宮(Palacio de Oriente)とも呼ばれる、スペイン王の王宮である。実際にはフアン・カルロス1世と王族は住んでおらず、彼らは郊外にあるマドリードより小さなサルスエラ宮殿に好んで暮らす。しかし、マドリード王宮は未だ国の行事に使用されている。宮殿はスペイン政府の所有で、外局パトリモニオ・ナシオナルが管理している
王宮は、マドリードのダウンタウン西部バイレン通りにある。東はマンサナレス川で、マドリード地下鉄オペラ駅が最寄りである。宮殿は、公的行事で使用される時を除き、一般公開されている。
現在宮殿のある場所は、10世紀から『マイリット』(mayrit)と呼ばれる要塞が立っていた。マイリットはコルドバ太守モハンマド1世の辺境地として建設され、1036年のムーア人のトレド王国独立後はムーア人に継承された。1085年、マドリードがカスティーリャ王アルフォンソ6世によって陥落すると、非常に希に大邸宅はカスティーリャ王に使用された。1329年、カスティーリャ王アルフォンソ11世は初めてマドリードにコルテスを招集した。フェリペ2世は1561年に宮廷をマドリードに移した。
古いアルカサル(Antiguo Alcázar)は、この場所に16世紀に建てられた。アルカサルは、1734年12月24日全焼した。フェリペ5世は同じ場所に新たな宮殿の建設を命じた。建設は1738年から1755年にかけ行われ、フィリッポ・ユヴァーラとジョヴァンニ・バッティスタ・サンチェッティによってベルニーニ風に建てられた。協力したのはベントゥラ・ロドリゲス、フランチェスコ・サバティーニ、スシメントである。1764年に新たな宮殿を占有したのは、カルロス3世であった。
広大な宮殿は、ディエゴ・ベラスケス、ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ、アントン・ラファエル・メングス、ガスパリーニ、フアン・デ・フランデス、カラヴァッジオ、フランシスコ・デ・ゴヤといった芸術家の作品で贅沢に飾られている。歴史的に重要性のある王家の収集品のいくつかは宮殿内にあり、13世紀以降の兵器類を収める王立武具博物館、世界で唯一の完全なストラディヴァリウスの弦楽四重奏、タペストリー、磁器類、家具などを含む。
宮殿の西部分は、カンポ・デル・モーロという庭園である。1109年にここでムーア人首領アリ・ベン・ユースフとその部下たちが、キリスト教徒からマドリードとアルカサルを奪還しようとした故事にちなむ名前である。宮殿の東ファサードはオリエンテ広場とオペラハウスである王立劇場に面している。南側はアルマス広場という広い広場で、宮殿の狭い翼で囲まれている。同じく南側はアルムデナ大聖堂に面している。北側はサバティーニ庭園がある(建築家サバティーニにちなんだもの)。
アストゥリアス公フェリペと民間出身の妃レティシアの結婚披露宴は、2004年5月22日、宮殿の中央にある庭で行われた。