箱根神社(はこねじんじゃ)は、神奈川県足柄下郡箱根町元箱根にある神社。旧社格は国幣小社。かつては箱根権現、三所大権現とも称された。
なお、奥宮には以下の造化三神も祀られている。
六国史や延喜式神名帳には見えないが、鎌倉時代には『貞永式目』付属の起請文の中で、日本国中の神祇の筆頭にあげられたほど、幕府の篤い崇敬と保護を受け、伊豆山神社とともに二所権現、さらに三島大社を加えて三所権現とよばれ、後北条氏の時代まで特に武家たちの信仰を集めた。
『筥根山縁起并序』(建久2年(1191年)、箱根権現別当・行実編纂)によると、古代から箱根山に対する山岳信仰は盛んで特に神山への信仰は篤く、神山を遥拝できる駒ケ岳の山頂を磐境として祭祀が行われていた。
特に、孝昭天皇の時代に聖占(しょうせん)が駒ケ岳において神仙宮を開き開山したのが最初といわれ、神山を神体山として祀ったことが、山岳信仰の隆盛に大きな影響を与えたとされる。駒ケ岳の山頂では現在も10月24日に御神火祭が行われており、古代における神山への祭祀の名残を示しているという。
この筥根山縁起の記述からすると、箱根権現は道教(神仙道)の祭式によって祀られたことになるが、事実、別の縁起書によれば、箱根山はもともと泰山府君を祀る泰禄山とよばれたことがあるという。
また社宝の『箱根権現縁起絵巻』には、天竺斯羅奈(しらな)国のさだいえ中将、その娘の霊鷲御前、その婿の波羅奈国の二郎王子が日本に来て箱根三所・伊豆二所両権現となったという伝承が掲載されている。
この箱根権現が玄利老人によって東福寺となり、それが滅亡しかけたのを、万巻上人が天平宝字元年(757年)、現在地に里宮を再興して僧・俗・女の三体の神を箱根三所権現として祀ったと伝える。この東福寺が別当の金剛王院となって箱根権現をリードしていった。その後、伝承では、万巻上人が人々を苦しめていた芦ノ湖の九頭龍を調伏し、現在の九頭龍神社本宮を建立して、九頭龍を守護神として祀ったとされる。
『吾妻鏡』には石橋山の戦いで敗れた源頼朝を当社の権現別当行実が助けたとの記事があり、以降、関東の武家の崇敬を受けるようになった。天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐の際に焼失したが、徳川家康が社領200石と社地不入の朱印状を寄せ、社殿を再建した。
長らく別当寺の金剛王院東福寺が箱根権現の中核であったが、明治の神仏分離の際に別当は還俗して神職となり、箱根神社に改称した。昭和3年に国幣小社に昇格した。
昭和39年(1964年)、堤康次郎の寄進によって駒ヶ岳山頂に箱根元宮が再建された。以来、奥宮として登拝者を集めている。
平成11年(1999年)、九頭龍神社の新宮が箱根神社の境内に建立された。
神社前の芦ノ湖上に「平和の鳥居」と称される鳥居が建つ。1952年、サンフランシスコ講和条約締結と当時の皇太子明仁親王の立太子の礼を記念して建立されたもの。鳥居の扁額は東京オリンピック開催と鎮座1,200年を記念して1964年に掲げられたもので、額字の「平和」は吉田茂の揮毫になる。
九頭龍神社の本宮は箱根神社の境外社であるが、新宮は境内社として、箱根神社拝殿に隣接している。
本宮は、毎年6月13日が例大祭、毎月の13日が月次祭である。毎年7月31日には「湖水祭」も行われている。また、箱根神社の境内にある新宮の月次祭は、毎月15日に行われている。