迎賓館(げいひんかん)とは、外国の国家元首や首脳などの国賓を迎え入れたときに、宿泊等の接遇を行う施設である。
皇居宮殿での歓迎晩餐会の答礼など、外交儀礼のための接宴として、天皇や皇族などが臨席し晩餐会が行なわれることもある。
日本の迎賓館は現在、東京都港区赤坂の迎賓館(赤坂迎賓館)と京都府京都市上京区の京都御苑内に京都迎賓館があり、内閣府の施設等機関である。通常は非公開だが、接遇に支障のない時期(通常は8月)に、事前の申し込みにより一般参観することができる。
迎賓館の使用については「迎賓館運営大綱について」(1974年7月9日閣議決定)、国・公賓の定義および接遇内容については「国賓及び公賓の接遇について」(1984年3月16日閣議決定)等により定められている。これらの規定によれば、迎賓館での宿泊及び接遇を行うことが出来るのは、外国の元首またはこれに準する者で、国賓として招請することを閣議決定した場合である。また、行政府以外の三権の長相当の外国の賓客についても、閣議決定により宿泊することが出来る。さらに、首脳外交など実務を目的として訪日する外国の元首・首相その他に対しては「公式実務訪問賓客」として宿泊を伴わない招宴その他の接遇も行われている。過去3回行われた東京サミットなどの多国間国際会議も、この接遇範疇に該当する行事として実施されている。
なお、外国首脳との会談等には、外務省の飯倉別館(東京都港区麻布台)が利用されることも多いようである。
東京の元赤坂にある迎賓館の建物は、東宮御所(皇太子の住まい)として1909年(明治42年)に建設された。建築家ジョサイア・コンドルの弟子である宮廷建築家片山東熊の設計により、元紀州藩の屋敷跡に建てられたが、あまりに華美に過ぎることや、住まいとして使いにくかったことから、実際には、皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)はあまり使用しなかった。後に赤坂離宮と改称された。
戦後、赤坂離宮の敷地や建物は皇室から国に移管され、国立国会図書館(1948年〜1961年)、法務庁法制意見長官(1948年〜1960年)、裁判官弾劾裁判所(1948年〜1970年)、内閣憲法調査会(1956年〜1960年)、東京オリンピック組織委員会(1961年〜1965年)などに使用された。
その後、国際関係が緊密化して外国の賓客を迎えることが多くなり、またそれまで迎賓館として使用していた東京都港区芝白金台の旧朝香宮邸(現・東京都庭園美術館)は手狭で随行員が同宿できないなどの支障があったため、1962年に当時の内閣総理大臣池田勇人の発意により、新たに迎賓施設を整備する方針が閣議決定された。
これを受けて、池田政権時代及びその後を継いだ佐藤榮作政権において、政府部内で検討を重ねた結果、旧赤坂離宮を改修し、これを迎賓施設とすることが1967年に決定された。
5年の期間と108億円(工事費101億円、家具等製作費7億円)の費用をかけて、本館は村野藤吾、和風別館は谷口吉郎の設計協力により1974年(昭和49年)3月に迎賓施設として改修された。
新装なった迎賓館に迎えた最初の国賓は、第38代アメリカ合衆国大統領のジェラルド・ルドルフ・フォード・ジュニアである。
また、2006年から2008年にかけて、大規模な改修工事が行われた。
2009年12月8日、旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)として国宝に指定された。明治以降の文化財として初の国宝となる。
構造:鉄骨補強煉瓦石造、地上2階(地下1階) 延床面積:1万5000m²
「游心亭」(ゆうしんてい)。1974年(昭和49年)に、谷口吉郎の設計により新設された。主和室は、47畳の畳敷である。現在の和風別館は「日本らしいもてなしを行う施設」として、主に国公賓の会食や茶会などに供されてきたが、これらの施設は残しつつ、新たに宿泊施設を設けるなどの施設拡充が計画されている。和風別館の増改築事業については安藤忠雄らの設計共同体が設計者として選定された。
主庭は全面砂利敷きであり、中央には噴水池や花壇が設けられている。フォード大統領(1974年、ハナミズキ)、エリザベス女王(1975年、ブラウン・オーク)、ゴルバチョフ大統領(1991年、フユ・ボダイジュ)の記念樹がある。
京都迎賓館は1994年に「国立京都迎賓館」として建設が閣議決定され、2005年(平成17年)4月17日に開館した。洋風の赤坂迎賓館とは対照的な和風建築として、京都御苑の敷地の北東部に建設された。英語表記は Kyoto State Guest House である。設計は日建設計による。
開館後、最初の国賓は、ベトナム社会主義共和国主席グエン・ミン・チエットである。2007年(平成19年)(11月28日-29日滞在)
ちなみに、第43代アメリカ合衆国大統領のジョージ・W・ブッシュは、小泉首相(当時)と首脳会談を行っている。
:桐の間の奥につながる。22畳の和室で昇降式の座卓が設置されている。瀬戸内の犬島、白石島から運ばれた花崗岩を中心に組み立てられた大滝を配した庭園に面する。 ブッシュ米国大統領と小泉首相の昼食会は、この部屋で開催された。
:水明の間と対をなし、金をイメージして作られた貴賓室。、
:玄関前の「真の庭」、館内の中央「行の庭」、賓客宿泊室に面する「草の庭」の3面で構成される。「庭屋一如」の現代和風の庭園として、尼崎博正氏の監修により、佐野藤右衛門氏を棟梁とする京都の庭師により作られた。
京都御苑内は、江戸時代には公家町であった。迎賓館の敷地にも、かつては園家・柳原家・櫛笥家など複数の公家の邸宅が建っていた。公家町とは、公家や皇族の邸宅や、それらの子弟が入寺した門跡寺院の御里坊によって構成されていた町である。
国際博覧会が開催された時は、外国館参加の各国から王族・元首・閣僚級の賓客が、各国のナショナルデーに会場を訪問するために「迎賓館」が設置される。
「万博迎賓館」として、前述の内閣府の迎賓館とは区別される。国際博覧会開催中だけの臨時施設であるが、博覧会閉幕後も保存されている例もある。