横浜赤レンガ倉庫(よこはまあかレンガそうこ、Yokohama Red Brick Warehouse)は、神奈川県横浜市中区新港一丁目の横浜港にある歴史的建築物である。明治政府によって保税倉庫として建設され、当時の正式名称は新港埠頭保税倉庫[]。みなとみらい地区内の2街区にあたる。
2号館は1911年(明治44年)、1号館は1913年(大正2年)に竣工。保税倉庫としての役割は1989年(平成元年)までに終え、しばらく放置されていた。2002年(平成14年)に、1号館は展示スペース、ホールなどの文化施設、2号館は商業施設となり、付近一帯は広場と公園を備える赤レンガパークとして整備され、横浜みなとみらい21地区の代表的な観光施設となっている。第45回BCS賞 (2004年) 受賞。2010年、日本初の「ユネスコ文化遺産保全のためのアジア太平洋遺産賞」優秀賞受賞。
本項では赤レンガ倉庫と共に新港埠頭の歴史についても記述する。
赤レンガ倉庫(新港埠頭保税倉庫)は、明治時代の終わりから、大正時代の初めにかけて建設された。
当時の横浜港は、1859年(安政6年)の開港から半世紀を経て、近代的な港湾の整備が横浜市にとって急務となっていた。1889年(明治22年)には第1期築港工事が始められ、大桟橋、東西防波堤などの整備が進められた。これに続く1899年(明治32年)には、横浜税関拡張工事の名目で大蔵省が主導して、第2期築港工事が始められた。
第2期築港工事は、前期と後期に分かれる。前期工事は、税関前の海面を埋め立てて、係船岸壁を有する埠頭の建設を主に進めた。係船岸壁とは船が直接接岸できる岸壁で、その建設は日本初の試みであった。1905年(明治38年)には埋立が完了したが、同年より引き続いてに始められた後期工事は埠頭の拡張と陸上設備(上屋、倉庫、鉄道、道路)の整備を目指した。赤レンガ倉庫は後期工事の中で、国営保税倉庫として建設された。後期工事には、日清戦争後に急伸し東洋最大の港となっていた神戸港や大阪港に対抗するため、横浜市も約270万円の費用を負担して、築港の完成を急いだ。これは横浜市が国に働きかけて実現させた事業であり、国と地方の共同事業の嚆矢となった。
赤レンガ倉庫の設計は、妻木頼黄・部長率いる大蔵省臨時建築部によって行われた。妻木頼黄は、馬車道にある横浜正金銀行本店(現、神奈川県立歴史博物館)の設計もした、明治建築界三巨頭の一人である。2号倉庫が1911年(明治44年)、1号倉庫が1913年(大正2年)に竣工した。第2期築港工事は1914年(大正3年)までに完成し、ここに税関埠頭、現在の新港埠頭が生まれた。
全長約150メートル、背面に鉄骨造ベランダを持ち、日本初の業務用エレベーターや避雷針、消火栓を備える赤レンガ倉庫は、国営保税倉庫建築の模範となるとともに、組積造技術の最高段階を示す建築とされる。2号倉庫はレンガとレンガの間に鉄を入れる補強が施されていたことで、1923年(大正12年)に発生した関東大震災でも、被害は1号倉庫の約30%損壊にとどまった。 なお、当時のエレベーターは現在も1号館横に展示されており、重要科学技術史資料登録台帳に第00027号として登録されている。
赤レンガ倉庫を含む新港埠頭は、第二次大戦終戦後の1945年(昭和20年)に、連合国軍に接収され、横浜税関に連合国軍最高司令官総司令部が置かれた(後に第一生命ビルへ移転)。新港埠頭のほかにも、横浜港は大部分が連合国軍に接収されて使用不能となり、横浜の復興を遅らせる原因となった。新港埠頭は、1954年(昭和29年)に商船の臨時使用が許可され、1956年(昭和31年)に1号から6号岸壁と赤レンガ倉庫を含む上屋の接収が解除された。接収解除後は、貿易の急増によって入港船舶トン数、取扱貨物量など、すべての数値が戦前の記録を更新した。
しかし、貨物のコンテナ化が進展して他の埠頭に主役が移り、1975年(昭和50年)頃には取扱貨物量が激減。それ以降、アクションドラマや映画のロケ地として頻繁に利用されるようになる。特に1986年(昭和61年)から翌年にかけて放送されたテレビドラマ「あぶない刑事」のエンディングで、赤レンガ倉庫がロケ地とされた事により注目を浴び、倉庫への落書きなども横行した。1989年(平成元年)には、倉庫としての役割も終え、その後しばらく放置された。
1992年(平成4年)、横浜みなとみらい21の整備に伴ってウォーターフロントの再開発計画も進められ、横浜市は赤レンガ倉庫を国から取得。周辺地域と一体的に整備を始めた。横浜市は、5年以上かけて倉庫を修復し、保存活用するための工事を進めた。また、関東大震災で倒壊したため埋められていた横浜税関事務所の遺構や旧・横浜港(よこはまみなと)駅のプラットホームなども発掘・復元し、山下公園まで続く山下臨港線プロムナード(汽車道)も整備した。
こうして、2002年(平成14年)4月12日、赤レンガ倉庫を中心とした付近一帯は、展示スペース、ホール、広場、店舗からなる横浜赤レンガパークとしてオープンした。赤レンガ倉庫1号館は主に文化施設として、公益財団法人横浜市芸術文化振興財団が運営する。赤レンガ倉庫2号館は商業施設で、株式会社横浜赤レンガが運営する。いずれも歴史的なたたずまいを残しつつ、現代的な耐震性と消火設備を備えている。
横浜赤レンガ倉庫は、2006年(平成18年)1月に通算来館者数が2000万人、2013年(平成25年)5月に通算来館者数が6000万人を達成するなど、年間来場者数が600万人を超える横浜の人気観光地となっている。また「僕の生きる道」や「喰いタン」など、いくつかのテレビドラマで撮影に使われたロケ地ともなった。2007年には経済産業省により近代化産業遺産として認定された。2009年7月3日から7月15日にかけて、浜田省吾を題材とした展覧会「浜田島」が開催された。
なお、2010年(平成22年)9月9日より、歌手の大塚愛の誕生日(9月9日)と赤レンガ倉庫の創建99周年を記念したコラボレーション企画「LOVE“99”Anniversary」が行われている。なお、11・12両日、大塚のデビュー7周年記念ライブ「LOVE IS BORN〜7th Anniversary 2010〜」が開催された。
2002年、文化施設として開館。1階の床下には瓦などが展示されている。
2002年、商業施設として開館。当初は31店舗であったが、現在のテナント数は40店舗を超える。多くの店舗で横浜赤レンガ倉庫ならではの商品を置いている。また、3階のレストランビアネクストのロゴマークは、倉庫内にある防火扉の開閉に使っていた滑車に由来する。ただしこの滑車式の防火扉は現在は保存されているだけで使われていない。
横浜赤レンガ倉庫イベント広場に設営されるスケートリンク(12月上旬から2月下旬頃まで開催)。アーティストが音や光、映像でスケートリンクを演出する。