A1リンク(A1-Ring)はオーストリアのクニッテルフェルトから西へ6kmのところにあるサーキット。かつてはエステルライヒリンク(Österreichring、オステルライヒリンクとも)と呼ばれていたが、1997年に改修された際、A1リンクへと改称された。
A1リンクの旧レイアウトとなるエステルライヒリンクは、1969年にツェルトベク飛行場からすぐ北の緑が美しい丘に造られた高速サーキットで、ターボ時代のF1で平均速度が時速250kmを超えるラップが記録された。この記録は、モンツァやホッケンハイム、ポールリカールの平均速度を上回るものだった。起伏が大きく、オーバーテイクポイントが多いこの高速コースは、ドライバーに人気が高かった。
第一コーナー「Hellaカーブ」は上り坂の頂上にある高速コーナーで、ニキ・ラウダは著書「ニキ・ラウダF1の世界」の中で、このコーナーをグランプリコースの最も難しい10のコーナーのうちの一つとしている。その理由として、コーナーの通過速度が非常に高いことと、上り坂の頂上にあるこのカーブはコーナーにアプローチするまでドライバーから見ることができず、ハンドルを切り始める手がかりが分からないことを挙げている。後にこのコーナーはシケインへと改修されたが、見通しの悪さは変わらなかった。
第一コーナーを抜けると緩く左に曲がりながらバックストレートへつながるコーナーに向かうが、ここにも起伏があった。バックストレートの最後には名物の180度ターンであるボッシュカーブへと突入しインフィールドへ。最終コーナーもほぼ全開でストレートに戻る。
エステルライヒリンクでの最終開催となった1987年オーストリアGPでは、予選中に鹿が侵入してステファン・ヨハンソンが運転するマクラーレンと衝突する事故が発生し、決勝スタート直後には、ホームストレートで多重クラッシュが立て続けに2回発生した。
観客管理、警備にずさんな面があり、ランオフエリアの芝生に観客が入り込んだこともあった。
その後、サーキットの利用は減って荒れ果てていたが新たなスポンサーの出資によってようやくヘルマン・ティルケによって改修を受け、名前もA1リンクに改めて1997年に再オープンを果たした。改修でサーキット自体の面白みはエステルライヒリンクに比べ減少したものの、アクセル全開率の高さ(70%近く)、起伏差が大きく、オーバーテイク可能なところはかつてと同様である。
その年にF1オーストリアGPの開催が復活したが、サーキットから出る騒音などの問題を巡り地元の環境保護団体から強硬な抗議が寄せられたことなどから、2003年には開催終了。その後2004年にはレッドブルが同サーキットを買収し大幅な再開発を行う計画を発表したが、前述の環境保護団体からの猛烈な反発に遭いレッドブルは計画を撤回した。2005年には州政府自身によるサーキット改修計画が浮上した。
その後、A1リンクは廃墟と化していたが参考画像、レッドブルのオーナー、ディートリッヒ・マテシッツの投資によって再建されることとなり、2010年完成を目標に作業が始められている。