カラクムル(Calakmul)は、メキシコ、カンペチェ州にある先古典期後期から古典期にかけて繁栄したマヤ「中部地域」の大都市。1931年に発見され、その規模は30km²に及び、マヤ遺跡では最多の117基もの記念碑(恐らく石碑(Stela)のほかに祭壇やその他文字記録が刻まれた彫刻等の石造物を指す)が確認されており、ティカル(Tikal)と並ぶ古典期最大級の「都市」である。紋章文字(Emblem Glyph)は、蛇の頭で表現され、その旧名は、オシュテトウン(三つの石)と呼ばれていたこと、他の遺跡の碑文でも「蛇(カーン)」王朝という強大な国の首都として記述されていたことが最近判明している。
カラコル(Caracol)は、ベリーズ南部カヨ州、マヤ山地、モパン川の上流に位置するマヤ文明の都市国家であった。その「首都」(=現カラコルの遺跡)は、オシュウィツア(Oxhuitza「三つの丘の水」)と呼ばれていた。A.D.330年頃から石碑に王朝の歴史が刻まれていたことが判明している。カラコルは、当初ティカル(Tikal)に従属する国家であって、ヤハゥ=テ=キニチ(「太陽神の王」)2世(「支配者3」、「水王(Lord Water)」とも呼ばれる。)は、ティカルの王の後見のもとで、553年に即位するが、カンペチェ州にあるカラクムル(Calakmul)と同盟し、562年の「星の戦争」で、ティカルを攻撃して、打ち破った。680年にナランホに攻撃されて破壊され略奪されるまで繁栄した。1985年以降、セントラル・フロリダ大学のチェイス(Chase)夫妻らによって大規模な調査が行われている。