聖ワシリイ大聖堂(露:Шаблон:Lang)はロシアの首都、モスクワの赤の広場に立つロシア正教会の大聖堂。「聖ワシリー大聖堂」「聖ヴァシーリー大聖堂」「聖ワシーリー寺院」とも日本では表記される。
1551年から1560年にかけて、雷帝と呼ばれ権力をふるっていたイヴァン4世が、カザン・ハーンを捕虜とし勝利したことを記念して建立した。ロシアの聖堂でもっとも美しい建物のひとつと言われる。1990年にユネスコの世界遺産に登録された。
また、ゲームソフト等で有名なテトリスでは、ロシア文化をイメージとした背景や音楽等がよく用いられており、聖ワシリイ大聖堂もしばしば背景画像やパッケージとして使われている。
「クレムリンの聖ワシリイ大聖堂」といった説明がされる事もあるが、大聖堂は赤の広場には面しているもののクレムリンの城壁の内側には位置していないのでこれは誤りである。聖ワシリイ大聖堂が位置するのはクレムリンの城壁の外側である。
1588年にフョードル2世が、大聖堂東側にあった佯狂者ワシリイ(Шаблон:Lang)の墓の上に礼拝堂を建設して以後、ワシリー大聖堂の名で親しまれている。"Шаблон:Lang"は「ヴァシーリー」「ワシーリー」「ワシリー」などの転写例があるが、正教会の大聖堂のものであるため、本記事の名は日本ハリストス正教会による伝統的な転写に拠っている。
正式名称は「堀の生神女庇護大聖堂」(Шаблон:Lang )である。Шаблон:Lang(ポクロフスキー サボール)という呼称もあり、この前半部が片仮名で転写されたのが「ポクロフスキー大聖堂」の表記である。Шаблон:Lang(ポクロフ…「庇護」を意味するロシア語)に由来する名であり、生神女庇護祭(Шаблон:Lang)を記憶する大聖堂である事を示している。
ロシアのレニングラード州と、ウクライナのハルキウ(ハリコフ)にも「ポクロフスキー大聖堂」が存在する事(Шаблон:Lang、Шаблон:Lang)にも看られるように、生神女庇護祭を記憶する聖堂(ポクロフスキー大聖堂・ポクロフスキー聖堂)は世界中各国の正教会に多数あり、日本ハリストス正教会でも横浜、静岡、大阪の聖堂は生神女庇護聖堂である。
ただし、日本で「ポクロフスキー大聖堂」と言えば、当記事で扱っている、赤の広場に面した、聖ワシリイ大聖堂の異名を持つポクロフスキー大聖堂を指すのが一般的である。世界的にみても最も知名度の高い生神女庇護大聖堂である。