ペトロパヴロフスク要塞(ロシア語:Шаблон:Langピトラパーヴラフスカヤ・クリェーパスチ)は、ロシア、サンクトペテルブルクの要塞である。名称は、ロシア語で「ペトロとパウロの要塞」という意味で、ペトロ・パウロ要塞、あるいはペトロ・パヴロ要塞とも表記される。
正式名称はサンクトペテルブルク要塞(Шаблон:Langサンクトピチルブールクスカヤ・クリェーパスチ)。1914年から1917年にかけては、都市の名称が「ペトログラード」であったため、要塞もペトログラード要塞(Шаблон:Langピトラグラーツカヤ・クリェーパスチ)を称した。
18世紀に発生した大北方戦争の過程で、スウェーデンから奪った土地を防衛するために築かれた。河口付近のザーヤチ島を高い壁で取り囲むように構築された。
スウェーデンの脅威が低下した19世紀には、政治犯収容所としても利用され、一時はバクーニンやネチャーエフ、ドストエフスキー、レーニンらも収容された。
要塞の中央に、首座使徒ペトル・パウェル大聖堂(ペトロパヴロフスキー大聖堂)があり、ピョートル大帝以降の皇帝が葬られている。
現在は、造幣局として利用されているほか、一部は観光客にも開放されており、金箔を用いた豪華なバロック様式の内装などを見学できる。